日本の国民的スポーツと言えばやっぱり野球ですよね。休日の昼間、もしくは夕飯時分は、お父さんが野球中継でテレビ独占状態。
なんて事も日本の一般家庭事情ではよくあった話なのではないでしょうか。そんな時聞こえてくるアナウンサーの丁寧で正確な【実況】。
このプロ野球実況、一体どうやって始まったんでしょうか。野球の試合に花を添える「プロ野球実況中継」を深く知って、野球を丸ごと楽しみましょう!
野球中継の始まり
皆さんはいつから野球が中継で実況されたかご存知でしょうか。物心ついた頃には野球中継を見て、実況が流れていたことと思います。
物事の始まりはやはり「きっかけ」があります。勿論、プロ野球中継の実況もこれに当てはまります。
最初は高校野球の中継
公共の電波を使用するとなると、プロレベルの野球の中継が起源だろうと思われましたでしょうか?以外にも日本での初野球実況中継は高校野球だったんですね!
1927年(昭和2年)に初めて野球が実況中継されました。この中継はテレビではなくラジオを使用しての実況中継でした。更にその後1936年7月に開催された「日本職業野球連盟結成記念大会」が、現在のNHKで放送されます。
当時はNHKではなく「東京中央放送局(JOAK)」という名前でした。もちろんこの放送もラジオでの放送ですが、一点違う所は、球場内に集音マイクを設置してバットの打撃音や歓声を拾い、放送したという事。
アナウンサーが2人同時に掛け合いで話すという初の試みが二点もあったんです。この記念すべき掛け合い実況は「松内則三」「和田信賢」両名の声で実施されました。
放送初期から球場へ来れないお客さんへ「臨場感」を届けようと努力していたんですね!
この時代背景はと言いますと、1926年(昭和元年)の12月25日、世界で初めてブラウン管による「イ」という一文字の伝送受像に成功したという時代。
一般家庭にテレビなどあるわけもないので音と声だけで、いかに臨場感あふれる野球中継が行えるかどうかに注力していたことが伺えます。
テレビによる野球中継
いよいよテレビで映像と共に野球実況中継が放送開始されたのが1953年(昭和28年)でした。公式とされている放送開始は前述の年ですが、もっと細かく起源を追うと最も古い最初の放送は、1951年7月の後楽園球場で行われた大映VS近鉄と毎日VS東急の2試合という記録があります。
またこの放送は実験的放送であるため、公式の放送開始とは見なされていません。
1952年7月15日には民放初の「ナイター中継」が現在のラジオ関西(当時は神戸放送という局名)の手で開始されました。まだまだレンズの技術が進んでいない中、光量が圧倒的に不足している夜を映し出すのに相当な試行錯誤がなされていたのではないでしょうか。
いつの時代も困難が技術を進化させるのかもしれませんね!
現在の野球実況中継はというと・・・
とても近代的といいますか、時代の流れとは早いもので、公共の電波で遠く離れた地の試合を家庭に届けていた野球中継。今の時代はもう「インターネット配信」まできているんですね。
近年のデータ送信技術の発展速度には舌を巻くばかりです!
全球団、全試合が見れるまでは及んでいませんが(これはスポンサー等の兼ね合いもあるかと思われます)近い将来はパソコンでどの試合も見れるようになり、見逃した場合、録画していなくても試合実況配信をしている会社のサーバーにデータを残しておき、いつでも過去の試合が見れるようになるんでしょうね。
時代と視聴率の関係
どのプラットホームでも野球が楽しめるという事は、テレビにおける野球実況中継の資料率は・・・下がっています。これは日本人の「野球離れ」が大きく関わっています。
2017年4月に発表された小学校1年生の将来の夢は相変わらず「スポーツ選手」が断トツで多いのですが、内訳はと言いますと57.7%の子供がサッカー選手と答え第1位、野球選手と答えた子供は17.8%で第2位と言う結果になっています。第2位とはいえサッカーと大きく離されています。
今後の野球実況中継
野球ファンは大きな目で捉えれば間違いなく減少しています。球場に足を運ぶコアなファンは球場来場者数のカウントで見る限り上昇はしているのですが・・・
テレビを見て、家で野球を楽しむという文化が薄れていっているんですね。また、いくら放送方法が進化したとしてもやはり「実況中継」という人間の感情を乗せる「声」という演出はAIが進化したとしても、再現は不可能だと思います。
データを解析し正確な情報、状況を伝える事が実況なのではなく、「人間の心の動き」をも表現する事こそが「真の野球実況中継」なのではないでしょうか。
人間が【ココロ】というシステムを開発してしまい、実況中継すらAIが行うようになってしまえば、それは非常に寂しい事だと考えます。やはり生きている人間だからこそ伝えられる心の興奮は、いつまでも「人の心から人の心へ」伝えていって欲しいと願っています。