サッカーの起源はあのスポーツと同じ!同じルーツを持つスポーツ達。

多くの人々を魅了する、今や世界的人気スポーツである【サッカー】。

華麗なシュートに心躍り、実際プレーしても思い通りのプレーができた時はとても爽快で、仲間内でもとても盛り上がる熱いスポーツですね!

こんな心を熱くしてくれるスポーツ、どうせなら起源や発展を深く知ってもっとサッカーを全力で楽しみましょう!

スポンサーリンク

サッカーの起源でひと騒動

サッカーと言えばどの地域が思い浮かぶ?

はい、大多数の方がヨーロッパを思い浮かべたのではないでしょうか。それも当然だと思います。

一度は聞いたことがある【FIFA】(国際サッカー連盟)の本拠地はスイスのチューリッヒにありますし、日本人サッカー選手の海外移籍先もヨーロッパリーグのチームが多い事から「サッカーの本場」=「サッカーの起源」となってもおかしくはありません。

FIFAが認定したサッカーの起源

まずみんなが知りたい結論を伝えます。

起源は中国とされています。

さて細かくお話します。サッカーの起源は太公望が開いた国である「斉」で行われた蹴鞠であると言う事です。(斉が存在した時代は紀元前1046年~紀元前386年にあたります。)

この中国の蹴鞠は皮に羽毛をたくさん詰めた球を足で蹴り、穴に入れるという遊びで、当時は騎馬状態が主流であった軍人達の足腰の鍛錬にも良いとされていました。

そしてなんと1998年から2015年まで会長職に就任していたFIFA会長ゼップ・ブラッター氏が中国の博物館に認定書を送っていた事実も見つかりました。

えっ!?と思った方も多いのではないでしょうか。

私は文化大国である中国、土地も広大で人口も多い事からも、何かしらサッカーに似たことは起こり得るかな?と感じました。しかしそれだけでは「サッカーの起源」としては何か腑に落ちないものは感じました。

中国起源認定の裏事情

第8代FIFA会長ゼップ氏が在職中は、資金を得る為の工作や「お金」をめぐる問題がFIFA内で多く浮上しました。

この事から領土、人口、経済成長率、共に大きな中国にこの認定書を送る事で協会の大きな収益源の柱を作るべく認定書を送った政治的可能性も否定できないかな、と個人的には思います。

「我が国が起源のスポーツだ」となると当然、中国の多くの人たちがサッカーに目を向けます。経済効果を考えると、人口の少ない国より人口の多い国で盛んになるほうが「得」ですよね。サッカーの歴史も元をたどれば人間史、お金の問題は避けて通れないのでしょうか。

イギリス学者が認定書送付に大批判

この認定書送付に対し、歴史家のトム・ホランド氏が明確な批判を訴える一幕がありました。

トム・ホランド氏は19世紀にイギリスでサッカーが始まったと唱えている学者の一人で、彼の言い分としては、球体を手で扱わず足で蹴る風習は世界各国で行われている事で、球体を足で蹴っただけで「サッカーとする」のは根拠が浅いのではないか、というもの。

彼の言い分を聞いた時、なるほどなるほどと感じました。球体を足で扱うスポーツというと「セパタクロー」もありますし・・・日本にも「蹴鞠」はありますが、遊びのルールとしては地面に落としてはならないという点ではサッカーよりもセパタクロー寄りです。

こういった点からも、起源と紐づけるためにはある程度「物事の定義」というものを決めた上で判断しないといけないのかもしれません。

夜のバルセロナスタジアム

現代のサッカーの形はいつからか

最初はローカルルールばかりだった

サッカーは18世紀~19世紀頃、イギリスの上流階級の子供たちが通うパブリックスクールでプレーされていました。(アメリカではパブリックスルールは【公立】を指しますが、イギリスでは【特権的私立校】を指します。つまりお坊ちゃまお嬢様校)

その時のルールはあって無いようなもので、フィールドの広さも違えば学校によっては「手を使ってOK!」というもはや何なのかわからないスポーツとして存在していました。手で持ったままゴールに突っ込んで行くことを【ランニングイン】と呼んでいたそうですが・・・それもはやラグビー・・・と思いませんか?それは正解で、その後紆余曲折ってハンドありサッカーは別団体を立ち上げ、実際に「ラグビー・フットボール」としてプレーされます。ラグビーの起源がこんなところで見つかるとは面白い副産物を得ました。(笑)

話しを戻しますね。そういった違うルール文化を持つ各校生徒が大学へ進学した際、「ハンドありか無しか」で対立が起きます。その結果1848年ケンブリッジ大学で委員会が設立されて協議の結果「サッカーは手を使ってはならない」と【ケンブリッジルール】が制定される事になります。

遂にサッカーと呼べる形の完成

そして時は過ぎ1863年のこと、サッカーの統一ルールがないイギリスで、ロンドン近郊にあるフットボールクラブの代表者が集まって統一ルールを作ろうという事が遂に起こります。ケンブリッジルールでかなり現代サッカーに近づいていたのにそこから更に15年という時間がかかりました。

そしてその際、エベニーザー・コブ・モーリー氏がサッカー団体の設立を提案し、そのモーリー氏の呼び掛けに応じ、世界初のサッカー団体である「フットボール・アソシエーション」が設立され、その会合で世界共通の競技規則が作られることになります。

長い、サッカーのルール出来るまでが長い。

こんなことから現代サッカーのルールを作り出す起点となったモーリー氏が「サッカーの父」と呼ばれるのも納得ですね!

スポンサーリンク

やっぱヨーロッパが自然じゃない?

起源、由来の定義

これはあくまで持論です。

FIFAが中国が起源であることを認定している為、意味は無い事なのですが、物事の「起源・由来・発祥」と言えるのは「発生した地域を飛び越えて広がっていった場合の起点地」だと考えています。

これは例えですが、【日本刀】を例に話しますと

「刃物の起源は別かもしれないが【日本刀】は日本が起源だと私は思う。」

という事です。

刃物というカテゴリの中で独特の製法を編み出し昇華させ、その技術の「凄まじさ、美しさ、恐ろしい程の切れ味」は日本を超えて世界に認知されました。世界は【刃物】を見ているのではなく【日本刀】を見ているんです。これは立派な【起源であり原点】だと考えます。

前述から考えた意図の糸的結論

やっぱりイギリスかな。

理屈としては拙いかもしれませんが、やはり「ルールを制定したいほど普及していた」という点、「実際ルールを制定して競技へと昇華した」点、これはサッカーの歴史、起源としては非常に大きなアドバンテージだと思います。あくまで「サッカーの起源」です。

中国の蹴鞠を否定する訳ではありません。もし中国の蹴鞠が広範囲に波及し、中国から伝わった文化にルールを制定して競技化しようとする活動であったとするならば、中国が起源として腑に落ちます。

ですが実際は「球を一番昔に蹴っていた」という事のみが理由となっている気がしてならないんです。イギリスの学者さんが言うように「球を蹴って遊ぶ」文化は人間史を遡ればどこにでもありそうですし、「起源」と呼ぶにはあまりに筋道が整備されていないな、と感じます。

皆さんはどう感じましたか?文化というものには必ず存在する「歴史」。この歴史を追い、起源や由来を感じてみる。当たり前に敢えて踏み込む姿勢が、世界をもっと楽しくする。

是非いろんな「起源」、「由来」に触れてみてくださいね!

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。