まな板の鯉ってどんな意味?なぜ鯉になったのかを追ってみる。

みなさんは「まな板の鯉」ということわざをご存知ですか?あまり聞きなれない言葉ですよね。

詳しい意味は後程述べていきますが、なぜまな板に鯉なのか?またどうしてこのことわざが生まれたのか?などたくさんの疑問があることと思います。

今回はこの「まな板の鯉」の意味、そしてなぜ鯉なのかを追っていきましょう。

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まな板の鯉とは

自分ではどうすることもできないという意味

まず、このことわざの意味ですが、「窮地に立たされた際などに、もう自分の力ではどうにもできず、流れに身を任せるしかない」という状況を指す意味です。

なんだか緊張感たっぷりの言葉ですね。

誰しも一度は経験したことがあるのではないでしょうか。受験の結果を待つ時や、好きな人への告白への返事を待つ時、身近なところでいうと、じゃんけんなんかも当てはまりそうですね。

このことわざの類義語には「運を天に任せる」「万策が尽きる」「腹をくくる」などがあります。この類義語のほうが一般的には多く使われている気がします。

まな板の上に乗った鯉のイラスト

なぜ鯉なのか

ではなぜ鮭でもマグロでもなく鯉なのか!ということについてですが、鯉はまな板の上にのせられると、調理されることを悟っているのかじっと動かなくなるといわれており、その抵抗を諦め流れに身を任せると覚悟している様子から「まな板の鯉」ということわざが生まれました。

それってどんな魚にも当てはまるのではないか?本当に鯉はジタバタしないの?と疑問に思いますよね。

実は鯉はまな板の上に置いたら、思いっきりジタバタします。とても調理される覚悟があるようには見えません(笑)

しかし鯉の横腹にある側線とよばれる器官を包丁で撫でるとその動きは止まるようです。この側線という器官は水の流れや水圧を感じることに使われるため非常に敏感です。そのため刺激を受けると失神してしまいます。

まな板の上の鯉は、詳しくいうと側線を刺激された鯉が失神している様子から生まれたことわざなんですね。

ちなみに鯉以外の魚にもこの側線はあります。ではなぜ鯉なのでしょうか。それは、鯉は古くから日本で親しまれており、魚=鯉というイメージがあったからです。

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ほかにもたくさん「鯉」のことわざ

今回は「まな板の鯉」について調べていきましたが、実は「鯉」に関することわざはほかにもあるんです。余談になりますが、そちらもご紹介させて頂きます。

  • 「生簀の鯉」…何かに束縛され自由を奪われているさま。
  • 「及ばぬ鯉の滝登り」…どんなに努力しても実現不可能であること。
  • 「鯉の一跳ね」…諦めが良いこと。
  • 「麦飯で鯉を釣る」…わずかな元手で大きな利益を得ること。
  • 「鯉の滝登り」…立身出世をすること。
  • 「江戸っ子は五月の鯉の吹き流し」…江戸っ子は口が悪いが、性格はさっぱりしていること。口先だけで意気地のないこと。

前向きな意味のものもありますが、マイナスに感じられる意味のことわざが多い気がするのは気のせいでしょうか。ですがこれほど鯉を使ったことわざがあるということからも、鯉はずっと昔から日本人に親しまれていたことが伺えます。

身近なものやことわざなどの語源・起源を調べていくと面白い発見がたくさんありますね!

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