なぜ午後に新品の靴を履いてはいけないのか。様々な説を個別に解説。

知らない間に脳に刷り込まれて生きている事ってありませんか?
私で例えるならそうですね・・・【夜に口笛を吹いたら蛇が来る】ですとか、【夜蜘蛛は縁起が悪い】とか・・・

他にも思い出せないだけで「あ、こんなのあったな」という事は多いはずです。

そんな中、私の中で今でも覚え実践している事がこの記事のテーマ。

夜に新しい靴をおろしてはならない。おろす場合は靴底を火で炙るというもの。子供の頃「そうなんだ」で終わってしまったこの風習の由来を探しに行きましょう。

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はるか昔の町事情が絡んだケース

当時の夜は危険だった

昔の話となりますが、この場合は【夜に新しい履物をおろしてはならない】ではなく【夜に履物を履く事はよくない】とされた風習が時代と共に変化した物という事です。

この風習、遡れば江戸時代にはもう存在していたそうで、そんな時代は町に街灯など整備されているはずもなく、提灯があったとしても足元の安全を確保できる十分な明るさとは言えないものでした。

さらに新しい履物を使うという事は、長時間出かけることを連想させます。みなさんも徒歩2分のコンビニに行くために買ったばかりの靴を使おうとする人は少数派なのでは?楽な使い慣れた履物を使う確率は高いはずです。

それが遠い場所へ出かける為だったらどうでしょう?クロックスを選択はしませんよね。

つまり昔は、【夜に新しい履物を履いて出かける事は長時間動く】→【街灯も整備されていない時代の夜に動き回るのは危ない】→【夜に新しい履物をおろすのは良くない】となったのが由来の一つと言われています。

新しいものはまず神様へ供える

昔はどんな物でも新しいものはまず神様へ感謝の意を伝える為にお供えしてから使用していました。そして夜にその新しい物を使うという事は、【神棚の灯りを消した後、神様に隠れてものを使うバチ当たりな行動】とされたという事です。

とても信心深い日本人らしい思考だと思いませんか?神様に無礼を働くことが無いよう、各人それぞれが自分を律して行動しようとしていたんですね。

歩き出す二人

死を忌むために生まれた風習

昔は人が新しい履物で玄関をまたぐ時はどういう時か決まっている、といっても過言ではありませんでした。その時はというと

【人が亡くなった時】

なんですね。また、別の視点で見ると、新しい靴とは「きれいな靴」という事です。きれいな靴をわざわざ履いてから夜に外出する用事があるとすれば、それは「お通夜」くらいしか当時は有りません。

こういった「夜」と「新しい、きれいな履物」との関係が人の死と密接に繋がっていることが多い為、【夜に新しい履物をおろしてはいけない】という風習が生まれてた可能性があるという事です。

より直接的に命と紐付いた説

お通夜の時に履いて家を出る説と近いのかもしれませんが、昔は人が夜に新しく、きれいな履物を召して玄関を出ていく時は「亡くなって出棺される時」という事でした。

つまり死後、天国に向かう人が行う事であるため、縁起の善し悪しの観点で考えると

「夜に新しい履物を使用するのは無し」
となったと言われています。

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言い伝えの経緯で変化した事

みなさんが聞いた事のある言い伝えとしては、前述の通り「夜に新しい履物をおろしてはいけない」だと思うのですが、由来に近づけば近づくほどより直接的な言い回しへと変わってきます。

つまり由来発祥の時代では言い回しが少しばかり異なるんです。本当にこの風習が始まった当時は・・・

夜に新しい履物を履いて玄関を出ると死ぬ。

と言われていたんです。一気に直接的な言葉の響きになりましたよね。でもこれが今回のテーマの、「由来を追う」という事の終着点を導き出すヒントとしては最もキーとなるフレーズだと考えられます。

諸説様々ではありますが、前述の「夜に新しい履物を履いて玄関を出ると死ぬ」に最も類似している由来候補は、夜に新しく綺麗な履物を履いて玄関を出ていく人物は「亡くなって出棺される人のいで立ちと同じだよ説」に非常に近いものを感じます。

「夜に新しい履物を履いて玄関を出る事は亡くなった人の姿に近いからやめなさい」といったところでしょうか。

多少は状況的背景が似ているのかもしれませんが、お通夜へ向かう際に履くから、という事から「玄関を出ると死ぬ」は少し話が飛躍しすぎている気がします。

そこから意図の糸は今回の「夜に新しい履物をおろしてはならない」という言い伝えの由来は、「夜に新しい履物を召して玄関を出ていくのは亡くなった人の姿」が起因しているのではないかと考えます。

どうしても新しい靴を使う時は

これは地方によっても異なってくる事が多いですが、基本的に変わらない単純な解決方法が取られていました。それは、

新品ではない状態にする。

という事です。新品ではない状態を靴を履かずに作り出す為に色々は手法が採られています。例えば「靴底に墨を塗る」や「靴を踏んで汚す」や「靴底を火で炙る」などがそれにあたりますね。

傷をつけた状態を作り出し、これは新品ではないので使っても問題ない。と自己解決していたという事です。

現代は信仰心や験を担ぐ事への意識が少なくなってきて、このような風習がある事を知らない方も多くいらっしゃるかも知れません。しかし、身近に触れている様々な文化的背景には今回のような「縁起」が関わっている事が多くあります。

縁起はひとつの日本文化。海外ではジンクスと言ったところでしょうか。(ジンクスは「縁起が悪い事」を指すので少し違いますね)

しかし日本の縁起や験担ぎの多くには、海外とは違い「周りを守りたい気持ち」を乗せて発祥したケースが圧倒的に多いです。

周りを想い、労り、慈しむ。そんな配慮と情愛に満ちた国である日本。とても素晴らしく、このような国に生まれた事を誇りに思います。皆さんはいかがでしょうか。

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そんなに手間がかかる物でもありませんので、新品のお気に入りの靴を午後に降ろすのであれば、折角新しい靴で楽しい気持ちでお出かけする為にも靴底を火で炙って心晴れやかにお出かけしてくださいね。


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