お年玉の由来に込められた意味。海外はお年玉があるのか。

世界が同時に世界を祝う。
お正月。
お正月にも様々な過ごし方がありますよね。家族でゆっくりお正月番組を見て過ごす方。故郷に帰って両親に顔を出して過ごす方。近年ではお正月は海外で迎える!なんて方もいらっしゃいますよね。

十人十色なお正月があるわけですが、殆どの方が共通して意識するお正月物があります。子供の頃は本当に嬉しくて仕方がなかったものです。それが

お年玉

このお年玉、なぜ始まったのでしょうか。どう始まったのでしょうか。込められた意味は有るのでしょうか。では、その意図の糸を紡いでいきましょう!

スポンサーリンク

お金が起源じゃないよくあるパターン

お年玉の起源、それは生きる力

現代はお正月に貰えるお小遣いといったイメージが完全に出来上がっていますが、お年玉の起源、持つ意味は日本人らしい非常に奥が深い意味が込められています。

まず「お年玉」という漢字があまり起源や意味を思い起こさせないのかもしれません。では、お年玉本来の持つ意味へ書き替えてみましょう。

御年魂

どうですか?いきなり何というか神聖な、凛とした感覚になりませんでしたか?お年玉とは本来、そういったものなので、その感覚は間違っていません。

おせち料理の起源について。お年玉にならんでお正月に欠かせない物。

年神様から力を頂く

御年魂の持つ意味

お正月の行事は、基本的に年神様を迎え入れおもてなしをし、今年という一年の安泰を願って祝う行事です。そして年神様から今年一年分の魂を分け与えていただくんです。

昔の日本では、お正月で年神様から一年分の生きる力や、幸福を分けていただき、授かっているという考えだったんですね。とても日本人らしい、生きていることへの感謝の気持ちが含まれていますね。

五千円と千円と五百円が入ったポチ袋

年神様はお正月、どこにいるのか

勘の鋭い人は「あ、これかも」と思うかもしれません。その正解は

鏡餅です。

年神様は鏡餅を依り代とし、家に来ていただいた際に鏡餅に宿るとされています。その時に年神様の魂が鏡餅に宿るとされていました。そして更にマメ知識ですが、神様から魂を分けていただいた数が年齢であるという考えなので、母親の胎内に宿った時点で1度魂を分けて頂いている為、生まれた時は1歳。そして新年を迎えると、家にいらした年神様から再び魂を分けて頂く為、ここで2歳…これが所謂「数え年」というものです。

年神様から魂を取りこませていただく

前述で鏡餅に年神様の魂が宿っていると書きました。という事はです。非常にわかり易いですが、その鏡餅を食べる事で一年分の魂を身体に取り込みます。この年神様の魂宿った鏡餅は家長が責任を持って家族に「御年魂」として全員に配りました。

その料理が「お雑煮」というものです。このお雑煮、現代ではお節料理と並んで、お正月のシンボルの様な存在となっていますが本当は「年神様の魂をいただくありがたい料理」だったというわけです。まとめるとこうなります。

  • お年玉=御年魂
  • 御年魂で年神様から一年分の力をいただく
  • 年神様の魂の依り代は鏡餅
  • 鏡餅を家長が家族へ分け与える
  • 鏡餅の餅玉をお雑煮として食べて魂を取り込む
スポンサーリンク

経済成長と共にお金へと変化

このお年玉の風習は、日本独自の文化といっても支障ありません。

江戸時代には庶民にも浸透し、そこから明治、大正、昭和、平成、そしてこの先も受け継がれていくことになると思われます。

厳密になぜお金へとすり替わっていったのか、詳細な記録はありませんが、一説では昭和中期の高度経済成長時に都市部の方でお金という形でお年玉を与える風習が発生したと言われています。

また、贈る対象が子供であるイメージが強いと思われますがその理由として、お年玉は目上の者から目下の物へ贈るものという定義があります。

家長から家族であったり、主からその家に仕えている者だったりといった具合です。その意味が継承されて「子供へ与える贈り物」となっていったのが真相と言えるでしょう。

また上記の場合以外で贈り物をする場合はお年玉ではなく「御年賀」や「御年始」という言葉を使います。贈り主を起点として贈る対象が目上か目下で言葉が変わるんです。

海外はお年玉があるのか

結論としては「お年玉は有りません」。

しかしその代わりと言っては何ですが諸外国ではクリスマスという文化で盛大に大切な人へ贈り物をしています。

またもっと厳密に言うと中国では旧正月に「紅包」という文化でお年玉に似た贈り物がありますが、お正月に限らずおめでたい時に贈るお金を「紅包」と言いますのでこちらは「ご祝儀」に近いのではないかと私は考えます。(中国の行事ごとは旧暦を基準の行われます。)

その他にも中国では旧正月の時に未成年にお金を贈る「圧歳銭」というお年玉の習慣があります。

しかし、一年分の生きる力、「魂」を年神様から頂戴し、分け与えるという深い意味を持つという点で、お年玉はやはり日本独自の命への感謝をしっかりと感じ取った独自の文化であると私は思います。

お餅からお金へ変ったのも金銭的余裕ができた事もあるかもしれませんが、手っ取り早いから、といった理由ではなくもしかしたら

「大切な家族が少しでも幸せに暮らせますように」

と気持ちを込めて、幸せに生きていく上で必要となるお金を包んでいたのかもしれません。その背景から見えてくる事、それはお餅であろうとお金であろうと「大切な家族を想う気持ち」だけは昔から現代まで何も変わらないという事なのではないでしょうか。

スポンサーリンク

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。