最近は集中豪雨などの異常気象の方が多く、日差しがあるのにしとしと降る天気雨はあまり見られなくなりましたね。
この日差しがあるのにも拘らず優しく降る天気雨。これを人は狐の嫁入りと呼びました。なぜ、狐の嫁入りと言うのか。
その理由と複数の説がある由来を見ていきましょう。
目次
狐の嫁入りを美化した由来
人と狐の悲しい恋物語
これはある昔話なのです。
長い間雨が降らず、田畑が干上がり農作物が育たなくなっていた村がありました。その村人たちは、生贄を神に捧げて雨乞いをしようと計画します。
何を生贄にするか。人ではなく狐を生贄に捧げよう。
どうやって連れてくるか。狐を騙して捕らえよう。
そこで村一番の男前を、人に化けるのが得意な女狐に接触させます。そこで男女の絆を育み嫁入りに来たら生贄にするという計画。
そして時間を経ていくと、女狐は男に本当に惹かれてしまいます。そして男も。
男は女狐を生贄になどできるわけがなく、計画を明かします。嫁入りに来れば捕らえられ生贄になってしまう、すぐに逃げろと。
しかし女狐は惹かれた男の為、男の暮らす村の為、全てを承知で嫁入りを受け入れます。
そして事は村人の思惑通りで男と女狐の気持ちなど考慮になく、嫁入りした女狐を生贄としてしまいます。そしてその時、空は晴れ渡っているにも関わらず空からは雨がしとしとと降り始め、これは嫁入りした狐の涙だと言われました。
ごんぎつねも真っ青の涙なしには語れないお話です。この話を元に天気雨を「狐の嫁入りの様だ」と言われるようになり「狐の嫁入り=天気雨」が残ったとされています。
海外でも狐が嫁入り?
やはり昔話だけではまだまだ満足できませんよね。理由としては、海外にも「狐の嫁入り」という言葉と天気雨が紐付いているからです。
イタリア、イギリスでは同じく「狐の嫁入り」。他の国では別の動物の嫁入りに例えられています。例を一覧にしてみましょう。
- イギリス、イタリア=狐
- ブルガリア=クマ
- アフリカ=猿orジャッカル
- アラビア圏=ネズミ
- 韓国=トラ
日本の昔話がここまで波及するとは思えません。この事から私的には、一番推していきたいのが悲しい物語説なのですが、どうやらこれは後付けと考えられます。
現実味のある狐の嫁入り由来
越後名寄に記述がある
越後名寄は書写年不明の文献ですが、著者が丸山元純(マルヤマ ゲンジュン 1682年-1758年)という方です。つまり江戸時代中期頃に文献に登場したことが分かります。そこに書かれた内容としましては
「静かな深い夜に、提灯にも見える灯りが4キロを超える長さで遠くに見える事がある。それを子供達は【狐の婚】と言っている。」
さらに1624年から1645年の寛永時代の書物「今昔妖談集」にも不思議な嫁入り行列が見られ、正体は狐だったと書かれています。書物に出てきた時代はこのあたりなのでしょう。
そしてこの時代の結婚は、式場が整っておらず、嫁入りする女性が夕刻に提灯行列で迎え入れられるのが普通でした。この風習は昭和中期頃まで続きます。
つまりここでは天気雨とは紐付いておらず、夜に灯された不思議な光をさしていますよね。さらに東京、新潟など広い地域で不思議な灯りが連続して揺れている事を「狐の嫁入り」と言う事から、「夜の不可思議な謎の発光体=狐の嫁入り」とされていたのでしょう。
その怪しい光は何?
様々な説があります。ざっと紹介すると
- 土中に多く生成されたリンの自然発火
- 本当にただの提灯だったが見間違いで狐に化かされたと思った
- 異常屈折の光を錯覚したもの(蜃気楼の様なイメージ)
- 「虫送り」という農作物の病害対策。田植えの後に松明を持ち畦道を歩き回っているのを見間違えた
この中で最もあり得るのは「虫送り」の作業を見間違えた説ではないでしょうか。実際に狐の嫁入りの目撃時期は田植え後の夏に最も多く、水田のない場所では狐の嫁入りが見られていない事が根拠です。
夜の怪火がなぜ天気雨に?
これを証明する文献は見つかっていませんが、時代背景として狐という生き物のイメージは「人を化かしていたずらをする」イメージがしっくり来ると思います。
そして狐の嫁入りが目撃されていた時代はコミュニティが小さく、誰と誰がいつ結婚するのかを告知し村人はそれを把握していました。
誰の婚礼もない日にも関わらず、提灯行列の様な灯りが長々と続く現象が見られ、人々は狐に化かされていると結論付けたのでしょう。狐は嘘の様な事を起こして人を化かしてくると言う事です。
この事から空は晴れているのに雨が降ってくる「狐に化かされているような嘘のような状況」を【狐の嫁入り】と紐付けたとするのが最もしっくりと考えられます。
回収できない謎
上記までで日本における狐の嫁入りの由来があらかた片付くと思いますが、一点だけ回収しきれないものがありました。
そうです。海外でも「動物の結婚=天気雨」を表現している事です。なぜ、海外でも同じ発想が生まれているのか。また日本と動物の種類まで同じ国もあります。
これだけはどこまで調査しても分からず謎を残す形となっています。ここからは完全な推論ですが、狐の嫁入りが文献に登場し始めた時代にちょうど訪れていた外国人がいます。
ジョン・セーリスというイギリス東インド会社の司令官です。もちろんイギリス人です。
思い出して下さい。イギリスの天気雨は、何の動物の結婚だったでしょうか?
狐ということで日本と完全一致します。
日本古来の言い伝えであれば様々な古典に登場していてもおかしくはないのですが、狐の嫁入りはジョン・セリーヌが来訪した江戸時代から多くの文献に記載されていきます。
つまり、イギリス人使者との話の中に説明がつかない不思議な現象を「狐が嫁入りする」と言う話を聞き、その話が庶民に広がり夜間に見えた不思議な光を「狐の嫁入り」と言った。
そしてそのような説明できない不思議な現象を総じて「狐の仕業」とし、晴れているのに雨が降る説明できない状況を「狐の嫁入り」と語ったのではないでしょうか。
日本の物と思っていた由来が海外であったという事はよくある話です。日本人であるが故、物事の起源由来は日本発祥であって欲しい気持ちも分かります。
しかし、見方を変えてみて、今の日本は世界の様々な国や地域と繋がり、それ故に今のあなたが暮らす日本文化となっている。
そう考えると、あなたが生まれる遥か以前から脈々と受け継がれてきた「世界と自国の繋がり」の中に生きている”奇跡のバランス”もワクワクするような楽しいものだとは思いませんか?