宝くじの起源と当選確率をその他確率と比較!事故率と同じ!?

日本でも沢山の種類がある宝くじ。年末、夏、さらにスポーツの試合結果予測すら宝くじの様な報酬が得られるシステムがうまれていますね。そんな確率とギャンブル性によって一度消滅した起源を追いました。

さてこの「宝くじ」といったこのシステム、始まりはどれ程前なのでしょうか。更に当選確率がどの程度ものなのかイメージもしたくなってきますね。

今回の記事は恐ろしく長いですよ!調べれば調べる程、人間の性質が浮き彫りになって行くようで調べ虫がおさまりませんでした!

ではみんなの夢が詰まった宝くじの起源と皆さんの夢が叶う確立を深く追ってみましょう。

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いきなり発表。気になる当選確率!

絶望的に低い現実

さて、大変申し訳ございませんがこの見出しでは皆様の夢を砕いてしまう事になるかもしれません。(笑)あいて言うなら「確立はゼロではない!」という事です。早速発表しますよ!

ある年の年末ジャンボ宝くじを例にしています。

  • 1等・・・・・・1/1000万(推定四億円)
  • 1等前後賞・・・1/500万(推定一億円)
  • 1等組違い賞・・1/10万(10万円)
  • 2等・・・・・・1/333万(三千万円)
  • 3等・・・・・・1/10万(百万円)
  • 4等・・・・・・1/1万(十万円)
  • 5等・・・・・・1/100(三千円)
  • 6等・・・・・・1/10(三百円)

さあ・・・どうですか・・・?(笑)三百円でも10%という数字、三千円となるとその確立は絶望的に下がり1%となっています。では1等は・・・もはやどんな確立かイメージがつきませんね。ということで次は生きている中でイメージしやすい?かどうかわかりませんが、「なんか確立低そう!」というのが伝わり易い比較を見ていきましょう。

事象が起きる確率で宝くじをイメージ

  • 1/1000万の確率の事象・・・・落雷に打たれる確立とほぼ同じ
  • 1/500万の確率の事象・・・・いいサンプル見つからず
  • 1/10万の確率の事象・・・・震災により亡くなってしまう確立
  • 1/333万の確率の事象・・・・いいサンプル見つからず
  • 1/1万の確率の事象・・・・アマチュアゴルファーがホールインワンを決める確率
  • 1/100の確率の事象・・・・1年の間に交通事故に遭う確率
  • 1/10の確率の事象・・・・自動販売機の下をのぞいてお金が落ちている確率

三千円あてた人は交通事故に遭ったのと同じということですね。また十万円を手にするには会社の付き合いゴルフでホールインワンを決める必要があります(笑)十万円ですでに絶望的だと感じる方も多いのでは(笑)

話を戻し「宝くじ」の起源をみつめる

海外では資金集めを目的として発行。

起源を遡ると、宝くじは15世紀半ばのオランダに行きつきます。町をより開拓していく為の建築資金を集めるために、宝くじを発行し多くの人に購入してもらっていたことが分かっています。

多くの人が購入する事で、集まった資金を一部に還元するけど全体規模で見たら手元に残る金額は事業計画資金を賄うには十分だったのでしょう。

購入資金リスクに対するリターンの大きさは昔の人々の間でも「確率」感覚を麻痺させる事が出来たんですね。しかしこれが現金の還元ではなかったらここまでうまく事は運ばなかったと思います。人間の欲をうまく利用したビジネスモデルですね。

日本の宝くじ起源はお金に関わっていなかった。

一方、日本の宝くじの起源は江戸時代に遡ります。江戸時代初期の1624年(寛永元年)の頃に現在の大阪府で始まった記録があります。大阪府の箕面山瀧安寺という場所です。(瀧はタキ、ではなくリュウと読みます)

この瀧安寺では元旦から7日の間に参詣した自分の名前の書いた木札を唐びつに入れます。唐びつとはこういった神具の事です。

淡い木目調の唐びつ

そして7日に寺僧がキリで3回唐びつ内の木札を突き、3名の当選者を決めて、その3名に招福の御守りを授けた事が始まりとされています。

古来の日本人の民俗性は、縁起という見えない物を重要視しますので、現金という分かり易いメリットでなくても非常に魅力的だったのかもしれません。更に言えば御守りが欲しいのではなく、「くじに参加して当選する」事自体、縁起がいいと考えられていたのかもしれません。

参加する事で気持ちよく一年のスタートを切れるというのは非常に魅力的ですね。

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でもやはり人間の本質は抑えられない。

徳川幕府が禁止令を出す程に発展

悲しいかな人間の性質、やはりこういったイベントに金銭を結びつかせる人が現れます。そして清らかな気持ちで御守りを授かっていた文化は金銭に関わり加熱し、町で宝くじ(当時は富くじと呼ばれていた)が溢れかえります。

そういったお金の異常な流れを危惧した徳川幕府は1692年(元禄5年)に富くじの禁令を出す事となりました。しかし幕府は富くじによる収益性は十分に理解していたので修繕補修費、維持費が必要になるお寺、神社にだけは富くじの発行を許可しました。

このくじを「天下において許される(御免)富くじ」という事で御免富(ごめんとみ)と呼ばれます。御免というのは近代では謝罪の言葉として定着していますが、昔は罪を免れるという意味合いで使われていました。切り捨て御免、など有名ですよね。(切り捨てても罪を免れる)

そして寺社でも禁止に。禁止の真相は。

富札の発行はきちんとした管理体制が敷かれていました。どのようなものかというと興業日、興行場所、発行富札枚数、富札一枚の値段、当選金既定など細かく定めて内容を、寺社奉行所に届け出する必要がありました。それでも禁止になったんです。その真相はというと・・・

  • 規制緩和で許可を出した寺社が増えすぎて市場飽和が起こった
  • 興業運営の請負人の介在で興業をめぐる権利の構造が複雑になり管理が難しくなった
  • 富くじがブームになる事で庶民の風紀の乱れを懸念した

順番に説明すると市場飽和の件はつまり、本来富くじの収益は寺社の修繕補修費の助成であったはずが富くじが溢れ、資産が分散し一つの寺社の興行収入が著しく落ちて助成の意味を成さなくなっていたという事です。自分の住んでる地域で富くじが買えるならそこで買いますよね。そうなると興業収入は各地に分散します。当時は運送のインフラも当然整っていない、まして金銭を運送するとあっては現代でも厳重なセキュリティが敷かれる状態です。当然遠方の寺社での収入を輸送する事も出来ません。

補修修繕が必要な寺社に資金を集められない事態が起こりますよね。これが市場飽和による問題点となります。

次に興業請負人の介在の点は、簡単にいうと人の手を介せば介すほど、不正の起こる確率は高くなるということです。不正とは当選者を操作するというような物ではありませんが、興行場所が定められているにも関わらず別の場所で「こっそり富札を販売する」といった不正が後を絶たなかった為です。また市中の札屋が乱立し過ぎていた事も理由に挙げられています。

そして最後は風紀の乱れ、これは今も昔も変わりません。例えるなら富くじとは一種のギャンブルなんです。そしてこの富くじ、非常に庶民間で熱は加速し一時期はなんと「月に一回」のペースで行われ庶民を熱くさせていた程です。こういった異様な金銭の流れは現代も同じで治安を悪くし、事件を起こさせる引き金となります。そういった危険性を幕府は感じ取り全面禁止という処置に打って出ました。現代でも頻繁にギャンブルイベントが行われ近所の人たちが夢中でギャンブルにのめり込みだしたら・・・怖くないですか?私なら怖いです。当選しようものなら損失を出し続けている近所の方にどのような恨みを買うかもわかりませんし・・・金銭関係の熱とは非常に恐ろしいものです。

これが宝くじが禁止となった理由の真相となります。

溢れる小判と千両箱

そこから宝くじ禁止期間は長いが・・・

幕府に認可された御免富も天保の改革の際に禁止されてしまい、そこから明治元年の太政官布告によっても固く禁じられその結果103年という長い期間富くじは禁止されていました。

しかしどの時代にも抜け穴をすり抜けるような者達が出てきます。「富くじではない」と理屈上言えるが、よく考えると「富くじと変わらない」システムを考案する者たちが出てきます。

頼母子という相互的金融組織の設立

頼母子(たのもし)を簡単に説明すると、金融組織との名目で設立された組織です。活動内容も簡単に説明すると、メンバーは発起人である親のもとに定期的に集会を行います。その集会で一定金額をメンバーが出し合い、抽選で当たった一名に集まった金額を与えるといった組織です。この集会はメンバー全員が1回あたるまで続けられます。つまり誰でも必ず当選する時が来るんです。一見、当選順により受取金額が変わる富くじとは違うように見えますね。

よくよく調べればただの賭博集団

頼母子にはそれぞれルールがありました。そのルールとは様々で「当選したら退会となる」つまり抽選に参加できなくなる。他にも当選順で受け取れる金額に差をつける・・・

こうなってくると、「あれ?当選順で金額が変わるって宝くじと同じ?」となってきますよね。そうなんです。当選した会員が退会するという事は、次の集会で集まる人数は減ります。つまり集会の開催初期に当選する人間が最も得をする。当選順番が早ければ最も得をする、というギャンブル性を孕んでいたんですね。

この事から、うまく言い逃れをし名目を変え禁止されたはずの富くじのDNAは生き続けていたのが現実となります。

宝くじ起源のまとめ

このように宝くじの起源は庶民の心を惑わす非常に危険な「ギャンブル」として存在していました。もちろん太平洋戦争後に宝くじとして復活した富くじにもギャンブル性は有りますが。

大昔には本当に頼母子に入れ込み、破産してしまうものもいたようです。

そして明治以後も復興を願う人がおり、記録では幕府の寺社奉行所に3件の願書提出記録が残っています。内容は現在の宝くじと酷似し、違いは興業収入の一部を寄付するか幕府に上納するか、の違いとなります。勿論この願書は全て東京府に却下され、出願者は請書を東京府に提出しています。ここでの請書は簡単に言うと「却下の件、わかりました。」という証書の様なものです。

現代にも残る宝くじの起源はこんなにも民衆を白熱させ、それこそ身を滅ぼすような賭博性をもったものだったんですね。いつの時代もお金の魔力は凄まじいものです。

しかし何よりも凄いのは、完全に廃止され一度は消えてしまった宝くじをもう一度復活させて、一攫千金を夢見続ける人間のお金に対する執着心なのかもしれません。

宝箱から溢れ出る金銀財宝

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