「サバを読む」の意味と語源。様々な諸説は先人の生活からきていた。

日常でもよく聞かれる「サバを読む」という言葉ですが、特に女性が年齢や、体のサイズなどを「サバを読む」ことが多いのではないでしょうか。

実際に「サバを読む」を調べてみると、「鯖を読む」と出てきて、あの青魚の中でも有名な魚の「鯖」が見られます。

この「サバを読む」という言葉には、数多くの諸説があることがわかりました。
今回は「サバを読む」の言葉について、語源となった多くの説についてご紹介していきたいと思います。

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「サバを読む」・・・なぜ数えるじゃなく「読む」なの?

「鯖を読む」の意味

まず「サバを読む」を「サバ」と「読む」にわけて調べてみました。

すると「サバ」は魚の鯖と当たり前のように出ていました。そして次に「読む」ですが、「読む」という言葉には、本を読むなどの他に、「数える」という意味であったり、「先を読む」などと使われる意味もあることがわかりました。

この場合の「サバを読む」は「鯖を数える」というように使われています。そして「鯖を読む」は、実際の数と比べても不自然ではない程度に、多少数を自分に都合が良くなるように、少なく言ったり多く言ったりして、正確な数を誤魔化す、という意味です。

逆鯖とはどういう意味?

また「逆鯖を読む」という反対の言葉もあります。「逆鯖を読む」の意味は、実際の数より多少数を少なく言ったり、多く言ったりして、自分に不利になるように、周囲から過小評価されるために、数を誤魔化すことです。

鯖を読むと使われたのは江戸時代から

あまりにも実際の数と違いすぎたりすると、「嘘をつく」になるので、使うときには要注意です。ちなみに「数を誤魔化す」という意味で「サバを読む」と言うようになったのは江戸時代からです。このことから語源の説が様々に出てくるのですが、1つずつご紹介していきたいと思います。
そして実際「サバを読む」を漢字で書くと「鯖を読む」となるので、語源もきっと「鯖」が関係しているだろうと思っていたのですが、語源を見てみると「鯖」ばかりではありませんでした。

「鯖を読む」語源の様々な説

魚の鯖が語源となっている説が、現在では一番多く言われており、定説ともなっているようです。

鯖の売り方が語源となった説

鯖は江戸時代になると、大量に獲れるようになったそうです。

そして鯖は、魚の中でも特に傷むのが早いので、大量に水揚げした後、漁師や魚屋は、その大量の鯖を傷む前に早く売りたかったんですね。

しかもその当時は、魚を売る時の基準が重さではなく数量でした。漁師や魚屋としては、悠長に鯖の数を数えている時間はなく、鮮度の良いうちに、鯖の数を早口で数えて売っていたため、買い手が数を確認した時は、数が合わないことが多かったそうです。

このため鯖を大まかに目分量で数えて、正確に数えなかったため、数を誤魔化すという意味の「鯖を読む」という言葉になったということです。

現在では、この説が一番有力とされ、定説となっています。

ちなみに鯖は、江戸時代よりも前から獲れていたそうで、平安時代では数が少なかったため、高級品とされていたんですよ。
海を泳ぐ大量の鯖の群れ

鯖を運んだ日数から語源となった説

鯖は、江戸時代より前から、若狭湾で獲れた鯖が、とても美味しいと評判でした。

江戸時代でも同様で、若狭湾に面している福井県の小浜市(当時は若狭国小浜藩)で獲れた鯖は、京都では特に評判でした。

そして小浜市から京都へ行商人が魚介類を運んでいたのですが、その魚介類の中でも一番多く運ばれたのが鯖だったので、近年になってから、その運んでいた道を「鯖街道」と名付けられたという歴史があります。

この「鯖街道」は、小浜市から京都に繋がる道は全て「鯖街道」と呼ばれるそうなのですが、その中でも峠があり、山越えしなくてはならない険しい道が一番の近道だったのか、多くの行商人が、その道を徒歩で通っていたようです。

平坦な道なら、牛や馬に荷を乗せていくのも可能ですが、山越えのある道から鯖を運ぶには、背負って運ぶしかなかったようです。

そして鯖を生のまま運ぶには、すぐに傷んでしまうため、水揚げした後すぐに塩をまぶしてから、夜も寝ずに歩き続け、ちょうど京都に着いた時には良い塩加減になって、食べ頃だったと言います。

冷凍などの技術がない時代のため、塩をまぶすというのは、先人の一つの知恵ですよね。でもやはり、京都に着くまでに傷んでしまう鯖もあったため、その分も計算して少し多めに運んでいたということです。

この少し多めにしたことから「鯖を読む」と言うようになったという説があります。

そして、もう一つの説として、この「鯖街道」を通って京都に着くまでの日数を、早めに着いたように誤魔化し、そこから「鯖を読む」と言うようになった説もあります。

この「鯖街道」に関する語源説は、このように2つあります。

ちなみに現在でも「鯖街道」と呼ばれる道が残っており、ハイキングなどのコースとして使われているそうです。そのコースの日程は一泊二日。

江戸時代の当時は夜も寝ないで、ひたすら歩き続けたということですから、その時代の人の脚力からも考えると、1日かからず京都に着いていたかもしれませんね。

次にお話するのは、当時の大量に獲れた鯖は、なぜ多くの行商人が運ぶほど京都にこだわり、運んでいたのでしょうか。それには理由がありました。

庶民に愛された塩鯖

江戸時代前までの鯖は、多くは獲れず高級品だったため、庶民には手が出ない魚でした。それが、江戸時代からは大量に獲れるようになって、庶民でも買えるようになりました。

しかも脂ものって美味しい、若狭湾で獲れる鯖は、たちまちにして人気がでて、庶民はいつも鯖街道から運ばれてくる鯖を買うため待っていたほどでした。

その京都に着いて、ちょうど良い味になっている塩鯖は、庶民はどのように料理していたのでしょうか。実は現在でも京都では有名ですが、鯖寿司にして食べていたそうです。

酢飯に塩鯖をのせたお寿司で、大阪のバッテラとは見た目は多少似ていても、全く別物だそうです。その塩鯖で作ったお寿司を京都の庶民は、めでたい日に食べるという習慣があったようです。

私は食べたことがないので味はわかりませんが、塩鯖を使っている面から、お醤油なしでも食べれそうなイメージを持ちました。そして、めでたい日に食べるというのも、その当時から鯖寿司を食べることを、楽しみにしていたというのがわかる一例ではないかと思います。

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「サバ」が「サバ」ではない言葉から語源となった説

始めの説では「サバ」を魚の「鯖」が語源となった説をご紹介しましたが、その他に、違う読みの言葉から語源になったという説がありました。

謎の言葉「いさば」が語源となった説

「いさば」って何?と普通は思います。私も思いました。
「いさば」というのは「五十集」と書き、現在では耳慣れない言葉、というより聞いたことがありません。

当時「五十集(いさば)」というのは、「魚市」とも書かれていたそうです。そして、その実態は、漁場や魚の市場など、魚の売り買いをする所を意味する言葉でした。そして江戸時代中期を過ぎると、魚の問屋さんや、魚の仲介人のことを言っていたということです。

なぜこの「五十集(いさば)」が「サバを読む」の語源になったのでしょうか。

現在もそうですが、魚市場での取り引きしている様子をテレビなどで見ると、市場の売る側の人が、何を言っているのかわからないくらい早口で、何か専門用語も使っているような光景がありますよね。

その光景は、この魚市場のことを「五十集(いさば)」と呼んでいる頃からあったようです。

その早口で言って魚を売ることを「いさば読み」と呼び、その売り方が、そうとう早く魚を数えて売っていたので、買った人が後から数を数えると、数が合わないことが多かったことから、「いさば」の「い」が抜けて、「サバ読み」になったという説でした。

このことから、鯖を早く新鮮なまま、早口で数えて売ったという説と似ていますよね。やはり、昔も今も、魚介類は新鮮が命!と考えるのは変わらずに残っているんだなと感じる次第です。

お寿司屋さんが密かにしていたことから語源になった説

今度は、お寿司屋さんの江戸時代当時のお話になります。

もちろん当時のお寿司屋さんも、お客さんは1人ではありません。数人のお客さんにお寿司を握り、提供していました。おそらく、お寿司屋さんの職人さんは、どのお客さんにどれくらいの数のお寿司を提供したか、忘れてしまったことがあったのかもしれません。

そして、間違いなく御勘定を支払ってもらうため、お客さんごとに提供したお寿司の数を忘れないために、ご飯粒を密かに1粒ずつ、盤台と呼ばれる魚を入れるための、たらいの縁に付けていました。

この数を読み、お客さんが御勘定を支払う時に、お客さんに食べた数を誤魔化されることなく御勘定書を出していたということです。

この、たらいに付けていたご飯粒のことを、お寿司屋さんの職人さん達の隠語として「生飯(さば)」と呼び、御勘定書を出すときに、その「生飯(さば)」を数えたことから、「サバを読む」と言うようになった説になりました。

ちなみに、現在時々聞かれる「おあいそ」という言葉は、この時代にはなく、明治時代から使われるようになったとのことです。そして御勘定という言葉は古く、平安時代から使われていました。

「沢山」の語源の由来が「サバを読む」の語源に?

この説は、具体的な例がありませんが、ごくごく一部でのみ言われているものです。
「沢山(たくさん)」という言葉には、数が多い、数が十分でそれ以上は必要がない、などの意味があります。

実はこの「沢山(たくさん)」という言葉は、多いという意味の「さは(多)」と、数が多いという意味の「やま(山)」をくっ付けた「さはやま」という読みに「沢山」の字を当てたものだと言われます。

「たくさん」という意味では、平家物語の中にも見られたことから、鎌倉時代から使われていたことになります。

ここでの「沢山」が、「サバを読む」と関係があるというのは、「沢山」という、数が多い意味で使われる言葉の語源の、「さは(多)」からきているのではないかという説です。

この説は、例となる説がありませんが、1つの豆知識として頭の片隅に、ちょこんと置いて頂けたら幸いです。

「サバ」という言葉が仏教用語と関係しているって本当?

ちょっと信じられないことではありますが、「サバを読む」の「サバ」という言葉が、仏教用語や仏教の習慣からきているのではないか、という説をご紹介します。

「〇〇」を供物にしていたことから語源となった説

この習慣は、現在でも一部の地域では続いているそうです。

この「〇〇」に入る言葉は、「刺鯖(さしさば)」です。実はこの「刺鯖(さしさば)」は、鯖街道から運ばれてきた塩鯖を開きにして、更に塩を大量にまぶしてすり込み、干物にしてから二尾重ねて一刺しにしたことから「刺鯖(さしさば)」と呼ばれています。

この「刺鯖(さしさば)」は、二尾をセットで1つと数えられていたため、二尾なのに1つと数えた「刺鯖(さしさば)」としての数え方で、実際の数ではなく、二尾でも1つと言ってしまおうと、数を誤魔化しているのではないか、ということから「サバを読む」と言うようになったと、言われている説です。

この「刺鯖(さしさば)」は、お盆の時期に贈答品とされていたと言われる説もありますが、それよりも有力なのは、お盆に仏様に供物として、仏壇に供えるという説です。

この供物説によると、毎年お盆までに「刺鯖(さしさば)」を作るか買うかしておき、8月13日に家にある仏壇に、他の供物と一緒にお供えし、15日の昼食に、焼いて家族で食べて、午後からは送り火を焚き、ご先祖様をお送りするということです。

この「刺鯖(さしさば)」、塩鯖に更に塩をするという作り方のため、焼いて食べる時は、かなりの塩辛さだそうです。そしてここまで読んでいただいた方で、この習慣を知らない方は「供物に魚っていいの?」と思った方もいるかと思います。私も始めは思っていました。

実は仏教では(宗派により異なるのかはわかりませんが)、魚の中で鯖だけは供物に許されているそうなのです。ちょっと不思議に感じますが、鯖ってこういう部分で多少でも、特別な扱いをされていたのですね。

でもやはり供物にするためには、塩、塩、更に塩という感じで干物にされなければならないのでしょうね。

この説は仏教用語に関するものではありませんでしたが、供物にされるという面で、少し鯖を見直してしまいました。

仏教でのある作法から語源になった説

この説は、今までの説とは違う印象を受けると思います。

仏教でのある作法とは、日本にある禅宗寺院での食事作法なのです。一般的に禅宗と言われているのは、宗派の名前ではなくて、禅を説く教えの宗派を総称して禅宗とされています。わかりやすいのは、座禅をする宗派と言ったほうが良いかも知れません。

その禅宗は、日本では臨済宗、曹洞宗、黄檗宗の3つあります。

その禅宗寺院での食事の作法は、修行僧が昼食の時に、食べる前にまず自分のご飯茶碗から、ご飯数粒を箸で取り出しておくそうです。そしてそのご飯粒は、昼食の途中で係りの僧が集めて周り、食事後に外に持っていき、野鳥などに食べさせます。

この作法は、このように今、食事を摂ることができる幸せを感謝し、決して自分1人だけで食事を全部食べてしまうのではなく、命ある全てのものや、餓えに苦しむ餓鬼や畜生などに
、少しの量であっても分け合うという、慈悲の心を持つための食事作法だということです。

そして、このご飯粒のことを「生飯(さば)」と言います。この作法がなぜ、あまり良いイメージのない「サバを読む」に繋がったかというと・・・。

この禅宗寺院が大きいところほど、修行僧の数が多く、この食事作法をすると、かなりの量のご飯粒(生飯)の量になるそうです。そのため、あらかじめこの「生飯(さば)」の量も考えて、多目にご飯を炊くことになるそうです。

そのため、「生飯(さば)を数える」ことから、「サバを読む」と言うようになったということです。

この語源の説は唯一、良い意味での「サバを読む」だと思い、この説は当てはまらないかと思ったのですが、こういう説もあることを念のためご紹介させていただきました。

「サバを読む」のまとめ

  •  「サバを読む」の言葉の意味は、「サバを数える」という意味で、実際の数ではなく、自分に都合良くなるように、数を誤魔化すことを言う。
  • 反対に「逆サバを読む」という言葉もあり、意味は、実際の数ではなく、自分に不利になるように、数を誤魔化すことを言う。

サバを読むの語源まとめ

  • 漁師や魚屋が鯖を売る時、傷む前に売りたかったため、早口で数を数えて売っていたため、後で買い手が数を数えると、合わないことが多かったため、その語源となった。
  • 若狭湾で獲れた鯖を、福井県の小浜市から京都に運ぶ道を、近年「鯖街道」と名付けられ、その京都まで運んで歩いた日数を、早めに着いたように誤魔化したのが語源となった。
  •  「鯖街道」を通って鯖を運んでいると、傷んでしまったものもあったため、その分を多目にして運んだことから語源となった。
  •  「五十集(いさば)」と呼ばれる魚の市場などで、かなりの早口で魚を売ることを「いさば読み」と言い、そこから語源となった。
  •  江戸時代のお寿司屋さんの職人さんが、お客さんに提供したお寿司の数を忘れないために、たらいの縁にご飯粒(生飯)を付けたことから語源となった。
  •  「沢山(たくさん)」という言葉の語源が「さは(多)」と「やま(山)」を、くっ付けたことからきており、その「さは(多)」が、読み方や、意味からも「サバを読む」の語源になったのではないかという説。
  •  お盆になると、家にある仏壇に「刺鯖(さしさば)」を供えたが、その「刺鯖(さしさば)」が、二尾のセットで1つとされ、実数がわからなくなるような数え方であったことから語源となった。
  •  仏教での食事作法での「生飯(さば)」の量を、あらかじめ多目にして、ご飯を炊いていることから語源となった。

「サバを読む」の多くの語源の諸説について、ご紹介してきましたが、その語源の説は8つもあり、とても多く感じました。
多くの語源の説があるというのは、鯖自体がとても身近な魚だという理由もあるかもしれません。
私としては、やはり定説とも言われている1つ目の説が、有力ではないかと思いましたが、他の説も嘘ではないものばかりでした。

結果としては、やはり先人の知恵や生活に関係するものが多く、現在にも引き継がれてきているものもあり、どの語源の説を信じても良いと思います。

そして、「サバを読む」というのは、あまり、良い印象を与えないので、自身が生きていく上では、できれば正確な数字を示していきたいものですね。

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