なぜ猪が牡丹?語源を知れば当時の歴史背景が見えてくる。

モツ鍋、キムチ鍋、ちゃんこ鍋、みぞれ鍋など日本にはたくさんの鍋料理があります。その中の一つ、「牡丹鍋」をみなさんご存知ですか?牡丹鍋では猪の肉が使われています。

牡丹といえばお花が思い浮かびますが、それがなぜ猪の肉につながるのでしょうか。

今回はそんな牡丹鍋のルーツを探っていきたいと思います。

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牡丹鍋について

牡丹鍋とは?

牡丹鍋とは猪の肉を白菜、ごぼう、ニンジンなどの野菜と、シイタケやエノキなどのキノコとを一緒に煮込んだ鍋のことで、兵庫県丹波篠山地方の郷土料理です。

この牡丹鍋、様々な栄養が含まれていて、野菜はもちろんですが猪肉の栄養価も高いんです。特にビタミンB2は豚肉の2倍以上あり夏バテ対策にもってこいの食材であると同時に、カロリーは牛肉・豚肉よりも低いというから驚きです。

牡丹鍋の由来

猪肉と牡丹はなかなか結び付きづらいですよね。

なぜ牡丹鍋というのかというと、「猪肉を牡丹の花のように盛り付ける」からという説が最も強い説となります。お皿に牡丹の花のように並べられた猪肉はとってもきれいですよ。

余談ですが、日本にはこの「植物の名前を使った鍋」がいくつか存在します。たとえば馬肉は「さくら鍋」、鹿肉は「もみじ鍋」です。風情を感じる素敵な名前ですよね。

囲炉裏で煮立った牡丹鍋

その他隠語説

江戸時代まで、日本人は鳥以外の獣の肉を食用にすることが一般的ではなく、宗教上の理由からも排された歴史があります。

庶民は野生の猪、鹿、犬などの肉を食べることはあったのですが、役人に目を付けられたり、罰せられたりすることを恐れて、植物の名前で呼んでいたとされる説もあります。

また、こんな説もあるんです。あなたは花札をご存知ですか?

花札の6月の役札には牡丹の花に猪が書いてあるんです。この絵柄から「猪=牡丹」のイメージが付き、猪鍋を牡丹鍋と呼ぶようになったとも言われているんですね。

ただこの花札由来説は信憑性が低く、俗説の可能背が濃いですね。

牡丹鍋の歴史

発祥は明治時代

牛や馬が存在していなかったころから、猪肉は食料として人間に食べられていました。仏教が伝来して肉食が禁じられるようになってからも、人々はこっそりと猪肉を食べていたようです。

牡丹鍋の歴史は結構古く、明治時代にまでさかのぼります。この明治時代は、肉食禁止が解かれた時代です。猪は全国的に広く生存していますが、この牡丹鍋の発祥の地である兵庫県の篠山にもたくさん生息していました。

そしてその猪肉を味噌汁にして、当時軍事訓練で駐屯していた軍人たちが食べていたことが牡丹鍋の始まりであると言われています。軍では訓練として猪狩りをしていました。その時に狩った猪を自分たちで調理し、食べていたのでしょう。

それを地元の料理人などがより美味しくするために野菜やキノコなど他の具材を入れたり、だしを研究していき現在の牡丹鍋になりました。

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広く親しまれていた牡丹鍋

牡丹鍋は篠山に伝わる盆踊りの民謡「デカンショ節」に、猪は徳島県の「阿波踊り」に登場しています。

デカンショ節では「雪がちらちら丹波の宿に ししが飛び込むぼたん鍋」と歌われています。冬の寒い日の楽し気な様子が伺えますね。

一方阿波踊りでは「ささやま通れば笹ばかり イノシシ豆喰いてホイホイ」と唄われます。この歌の「ささやま」「豆」は丹波篠山のことを表現しています。

なぜ徳島の民謡に猪が登場するのかといいますと、昔徳島を治めていた蜂須賀氏の宗家が篠山にあり、分家が徳島にあったことから、分家が宗家のある篠山を思い歌ったのではないかといわれています。

まとめ

牡丹鍋とは兵庫県の丹波篠山に伝わる猪肉を使った郷土料理で、牡丹鍋の由来はお肉を牡丹の花のようにしてお皿に盛り付けていることでした。

また牡丹鍋の深い歴史や、篠山や牡丹鍋を愛する人の気持ちも民謡から感じられますね。

栄養価も高い牡丹鍋、近いうちに食べてみてはいかかでしょうか。

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