風邪」はなぜ「かぜ」と読む?その風邪の語源は中国医学にあった!

寒い時期になると風邪が流行し、どこの病院に行っても、マスクをして診察を待つ人で混雑している光景が見られますよね。

その風邪ですが、「風邪」と書いて「かぜ」と読むのは不自然に感じませんか?「かぜ」なら「風」

1文字で「かぜ」と読みますよね。なぜ「邪」の字が付いて「かぜ」と読むのでしょう。

そして現在では、重症化する前に治すことも可能になりましたが、昔はどのようにして風邪を

治していたのでしょうか。
今回は、風邪の語源から、現在の「かぜ」と言われるようになるまでの経緯と、昔の人は風邪に対して、どう対処してきたのかについて調べてみました。

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風邪の語源は、東洋医学の原点であるあの国

東洋医学の原点は、中国医学にあります。中国医学は、日本の飛鳥時代から、奈良時代にかけて、十数回も中国大陸に派遣された遣隋使、遣唐使によって、仏教や技術と一緒に医学が日本に伝わりました。
東洋医学は、中国大陸から伝わった医学が、日本で独自に発展したもので、東洋とは日本のことを指します。
そして、東洋医学の原点である中国医学から、風邪の語源が日本に伝わりました。

風邪の語源は、「風」からきていると言われています。あの自然の中で吹く「風」のことです。
ただ風だけで風邪を引くと言われると、外に出るのが嫌いになってしまいそうです。気持ちのいい風もあるのにと思ってしまいます。

その詳しいところを次から説明していきますね。

中国医学でいう風邪の原因とは?

中国医学では、自然の中で空気が動くことによって、体に色々な影響を与えるものと考えられ、あらゆる病気の原因になると言われていました。

その原因となるのが、六淫(りくいん)と呼ばれる邪気(じゃき)とされていました。
この六淫(りくいん)は、風(ふう)、寒(かん)、暑(しょ)、湿(しつ)、燥(そう)、火(か)の6種類あり、それぞれ風邪、寒邪、暑邪、湿邪、燥邪、火邪と呼ばれました。

自然現象の中での風や、湿気、乾燥、寒さ、暑さなどの温度変化が、人の呼吸や、体の皮膚などに、外から体の中に引き入れられて、病気の原因になるという考え方です。
このことから、六淫(りくいん)は季節的な特徴があり、それが東洋医学の考え方にもなりました。

そして、この六淫(りくいん)の邪気(じゃき)は、複数になってくっつくことがあります。
例にあげると、風邪と寒邪はくっつきやすいと言われ、そういった、くっつきやすい邪気(じゃき)の種類によって、体調を崩す原因が2つ、3つとなることもあります。

簡単に言うと、六淫(りくいん)という邪気(じゃき)は、病気の原因となるもののことを言います。

これを見ると「かぜ」は、よく「かぜを引く」という言い方で表されることが分かると思います。邪気(じゃき)を引き入れるから、引くと言うんですね。そして確かに、暑くても寒くても、流行する病気はありますし納得できますね。

風邪を引いて体温を計っているテディベア

「かぜ」を病気として使われるようになったのは平安時代

平安時代に入り、遣唐使の派遣は廃止となり、中国大陸からの新しい医学の知識は途絶えてしまいます。

ですが東洋医学として、日本独自の形に発展し、漢方薬も使えるようになります。

そして「かぜ」は、平安時代初期に成立した竹取物語(かぐや姫のお話で有名ですね)の中の一節に、風病(ふうびょう)として出てきました。風邪ではなく、風病(ふうびょう)です。

この当時の風病(ふうびょう)とは、咳、鼻水、のどの痛みの他に、下痢や腹痛などの腹部症状や、麻痺、てんかんなど、現在でいう脳卒中の後遺症や、神経症状まで含まれていました。後に脳卒中の後遺症は「中風(ちゅうふう)」と言われるようになりますが、「中風(ちゅうふう)」も、「風に中(あ)たる」と書かれ、やはり「風」が麻痺の原因になると、考えられていました。この当時は、脳血管系の病気は知られていないため、麻痺になった時に気付くといった様子だったようです。

「風邪(ふうじゃ)」として使われるようになったのは鎌倉時代

鎌倉時代になり、平安時代で廃止されていた、中国大陸への使節派遣が再開されます。その当時の中国は宋の時代です。

そして渡航の許可が出たのは、仏教の僧侶のみでした。また新しい中国大陸からの知識も入ってくるようになり、この時代から「かぜ」のことを「風邪(ふうじゃ)」と呼ぶようになりました。

平安時代までは、漢方薬があっても、ほとんど使われず、貴族や皇族は陰陽師による加持祈祷(かじきとう)に頼り、庶民は仏教僧の加持祈祷(かじきとう)が、やはり治療の中心で、体調が悪くなるのは、悪霊や物怪(もののけ)に憑かれたからというのが、強く信じられており、漢方薬を信用する人は、少なかったということです。

この鎌倉時代では、僧侶が僧医として庶民の医療行為に従事していました。その状態がしばらく続くのですが、江戸時代になると町医者が出現します。

江戸時代の医者は、資格を持たなくても、多少の知識があれば医者になることができたようです。

そして、この当時の庶民にとって町医者は、診察料がとても高く、腕の良い医者でなければ、出される薬を飲んでも、副作用で命を落とすこともあり、そのように信用できない医者もいたため、診察料もなかなか払えない庶民は、医者には診てもらわず、民間療法を行っていたということです。

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江戸時代の庶民が行っていた民間療法

庶民は寒い時期になると、体調を崩しやすくなり、咳や鼻水、痰などが出ることを経験上知っていました。
そのことから、鼻水や痰が出るのは、体の浄化作用だと考え、体の中にある悪いものが、痰や鼻水になって出るため、悪いものは出るだけ出してしまえば、体調は良くなると考えました。
食物では、ネギ、ニラ、ショウガ、ニンニクなどを摂るようにして、体を休ませて治していたというんですね。もちろん症状が悪化した場合や、「かぜ」以外の病気の場合は、死亡者も多かったようです。
せっかく鎌倉時代からは、僧医に診てもらえていたのに、江戸時代は戦(いくさ)もなく穏やかだった時代かと思っていましたが、医療の面では、庶民はとても不安に感じて生活していたのでしょうね。

「風邪」の読み方が「かぜ」になったのは明治時代

日本は、江戸時代から鎖国状態にありましたが、江戸時代の後期頃から、オランダとは通商条約を結んでいました。オランダから伝わってきた医学は、解剖学や外科が中心でした。

その後、明治時代になり、鎖国は廃止され、欧米諸国との通商条約が交わされ、西洋医学が日本に伝わってくるようになりました。

そして西洋の医師も日本にくるようになり、「かぜ症候群」という病気の名前も、日本に伝わってきました。

その「かぜ症候群」は、日本で、それまで使われていた「風邪(ふうじゃ)」と、似た症状であったため、名前をわかりやすくするために、「風邪(ふうじゃ)」を、そのままの漢字で「風邪(かぜ)」と読むようにしたということです。

風邪のまとめ

  • 風邪の語源は中国医学から伝わったもので、自然の中で吹く「風」からきていた。
  • 中国医学では、六淫(りくいん)といわれる6種類の邪気(じゃき)が、人の呼吸などにより、外から体内に引き入れられて、病気の原因になると考えられていた。
  • 平安時代では「かぜ」のことを「風病(ふうびょう)」と言い、腹部症状や、脳卒中の後遺症や、神経症状まで含まれていたが、意味は中国医学と同じく、「風」が原因でなる病気だと考えられていた。
    鎌倉時代になってから「風邪(ふうじゃ)」と言われるようになった。
  • 明治時代になり、西洋医学から「かぜ症候群」という病気が日本に伝わり、「風邪(ふうじゃ)」と似た症状だったため、漢字をそのまま残し、読み方を「風邪(かぜ)」とするようになった。

意外な「風邪(かぜ)」と言われるようになった理由でしたが、語源の由来である「風」によって、邪気(じゃき)を体内に引き入れるという意味は、そのまま残っているため、やはり「風邪」という漢字は正しい感じがしますよね。

そして「風邪を引く」の「引く」は、邪気(じゃき)を引き入れるところからきているので、他の病気にはない、古い歴史が残った言葉だと感じました。

風邪は、現在は病名としては使われていませんが、一般的にはよく使われています。
「風邪は万病のもと」と言われます。風邪には気を付けたいですね。

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