たこ焼きと並んで、粉もんのスーパースターであるお好み焼き。私も大好きな食べ物です。
具材も豚玉や海鮮もの、キムチ入りなど様々なものがあり、飽きがきませんよね。野菜が多く使われており、意外と栄養バランスがとれているところもポイントです。
たこ焼きと一緒に、粉もんのツートップであるイメージがありますが、お好み焼きの発祥起源や歴史はたこ焼きよりもかなり古くから始まっています。
たこ焼きの起源。大阪のイメージが強いたこ焼きの始まりは何か。
では、お好み焼きの歴史について知り、お好み焼き博士への一歩を踏み出してみましょう!
目次
お好み焼きの歴史
お好み焼きの起源は戦国時代
お好み焼きのルーツとなったものは「麩の焼き」とよばれるもので、これは安土桃山時代に誕生しました。お好み焼きの歴史は戦国時代から始まっていたのですね。
そしてこの麩の焼きの生みの親はお茶で有名な千利休です。麩の焼きとは小麦粉を水で溶いたものを平らに焼いたものをいいます。中にサンショウ入りのみそなどをいれていたそうです。千利休はこれを茶菓子として食していました。
生地が小麦粉ベースであるという点がお好み焼きと共通しますね。これがどんどん進化していきお好み焼きとなっていきました。
お好み焼きらしさを増した江戸時代~明治時代
江戸時代になると、麩の焼きが進化して「助惣焼」とよばれるものが生まれます。これは麩の焼きの中身である味噌のかわりに餅を使って作られたものです。ちなみにこれはお好み焼きだけでなくどら焼きのモデルになったともいわれています。
明治時代になると東京で「もんじゃ焼き」「どんどん焼き」が誕生します。麩の焼きからどんどんお好み焼きらしくなってきました。
この2つは具材がこれまでの味噌や砂糖、餅とは異なり野菜が多く使われるようになりました。そのため茶菓子ではなく、子ども向けのおやつや主食として食べられるようになりました。
おやつ、その語源。由来は昔の時計に、理由は生活環境に隠れていた。
どんどん焼はワンコインの先駆け?
どんどん焼きは特に人気で日本全国に広がりました。大正時代にどんどん焼きは「一銭洋食」として親しまれていました。一銭洋食とは当時、一銭で食べることができる洋食という意味です。あまり洋食というイメージはないですが、ソースをかけて食べるというところが洋風だと思われていたようです。昔から庶民的に親しまれていた料理だったのですね。
ついに昭和時代にお好み焼き誕生
お好み焼きという名称としての歴史は想像以上に短い
このように長い時間をかけて少しずつお好み焼きへと進化してきました。
そしてついに昭和時代、お好み焼きが誕生します。もんじゃ焼きは明治時代に誕生しているので、お好み焼きの方が生まれて日が浅いんですね。しかしここまでメジャーな誰でも知っている「粉もん」なのに生まれは昭和・・・お好み焼き若かったんですね(笑)
「お好み焼き」という名の由来
「お好み焼き」と最初に呼ぶようになったのは実は東京なんですよ。広島や大阪のイメージが強いから少し意外ですよね。
ちなみになぜ「お好み焼き」という名前かというと、「お客さんの好みに合わせて具材を変えて焼く」ことからきています。料理といえばレシピが決まっているものが多いので、好きなものを焼けるというのは、当時の食卓に新しい風を吹かせたことでしょう。
お好み焼きと広島焼の差には明確な原因が
余談になるのですが、お好み焼きといえば、大阪・広島ですよね。その違いは作り方にあるのですが、広島焼は生地が薄いですよね。それは原爆の被害により小麦粉が不足していたことが原因です。
食糧難が激しかった時代に、少ない量でもおなかいっぱいになれるようにと薄い生地の中に麺類をいれたことで広島焼きが生まれました。
こう考えると勝った負けた関係なく、戦争とは何の罪もない人々を苦しめることになる虚しい事象ですね。
お好み焼き発祥起源まとめ
- お好み焼きのルーツとなったものは安土桃山時代の「麩の焼き」
- 麩の焼きの生みの親はあの「千利休」
- 江戸時代、麩の焼きが進化して「助惣焼」が生まれる
- 明治時代になると東京で「もんじゃ焼き」「どんどん焼き」が誕生
- 進化を繰り返し昭和時代、東京で「お好み焼き」が誕生
- 「お客さんの好みに合わせて具材を変えて焼く」から「お好み焼き」
- 「お好み焼き」と「広島焼」の生地の厚みの違いは原爆の被害により小麦粉が不足していたことが原因
お好み焼きのルーツとなるものは戦国時代に生まれた茶菓子でした。そこから進化していき、東京でお好み焼きとなりました。
東京から広がったお好み焼きが地域ごとにアレンジされていき、広島焼などに発展していきました。
今では主食として食べられているものが昔は茶菓子だったなんて、食べ物の歴史もなかなかおもしろいものですね。