暑い夏になると、夏の定番である冷たいかき氷が無性に食べたくなりますよね。かき氷を食べると、一気に体全体のほてりが解消されます。頭がキーンとなるあの感覚も、かき氷ならではですね。
最近では、台湾かき氷など海外のかき氷や、厳選された材料を使った本格派のかき氷、また心がときめいてしまうような見栄えのあるかき氷など、たくさん販売されています。
でも、私たちがよく口にするかき氷って、いったいいつから食べられていたのでしょうか?かき氷の起源についてお伝えします。
目次
かき氷の起源とは?
平安時代にはすでかき氷はあった
日本で、かき氷について一番古い記録は、平安時代の清少納言の『枕草子』です。「削り氷にあまづら入れて、新しき金鋺(かなまり)に入れたる」と記述されています。
金属製の器に氷を刃物で削った削り氷(けずりひ)に蔓草の一種である甘葛(あまかづら、ツタの樹液を煮詰めて作る、一見蜂蜜に似た平安時代の甘味料)をかけて食べていたそうです。
ただ、当時は氷がとても貴重で、かき氷は貴族だけしか口にできない高貴な食べ物でした。
しかし本当に日本に根付いている文化など、起源の起点となるものが平安時代に大量にあります。これは果たして偶然なのでしょうか?
平安時代が起源や始まりの物には他にもこんなものがあります。
ヨガの発祥起源。美容は日本人が後から改良、追加した要素だった。
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明治・昭和にはいり、徐々に一般化していった
幕末には、天然の氷がたくさん輸送されるようになりました。そして明治になって、1869年神奈川県横浜の馬車道で氷水店が開店しました。
また、氷をつくる時に良質な水を使うように政府が規則を作ってからは良質な氷を使った氷の生産が増えていき、徐々にかき氷は大衆的な食べ物となりました。
かき氷の作り方も、徐々に変化
平安時代では、氷を小刀で削っていましたが、徐々に発展し、明治時代になると台座を回転させて鉋(かんな)で削るようになりました。さらに、昭和期では氷削機が主流となり、一般に広まるようになりました。
食べ方にも、時代とともに変化がみられる
平安時代では、あまかずら(ツタの樹液を煮詰めたもの)をかけていました。明治・昭和期になると、砂糖・砂糖あん・小豆あんをかけたものがよく食べられていましたが、第二次世界大戦後には、いちごやレモンなどのシロップが販売されるようになりました。
現在では、さらにシロップの種類が増え、旬のフルーツがトッピングされたり、厳選された材料をつかったもの、ふわふわとした食感を楽しめるもの、また鮮やかで見栄えのするもの、などたくさんの個性が光るかき氷を食べることができます。
かき氷の起源と歴史のまとめ
- 一番古い記録は、平安時代の清少納言の『枕草子』
- 平安時代では氷がとても貴重で、貴族だけしか口にできない高貴な食べ物
- 明治時代、1869年神奈川県横浜の馬車道で初の氷水店が開店
- 氷の生産に使用する良質な水の規則を政府が作った
- 小刀で削る製法が明治時代には台座を回転させ鉋(かんな)で削る従来型に
- 平安時代、『あまかずら』(ツタの樹液を煮詰めたもの)をかけていた
- 明治・昭和期、砂糖・砂糖あん・小豆あんをかけたものが主流となった
- 第二次世界大戦後、いちごやレモンなどのシロップ販売開始
現代のかき氷と比べると少し前のかき氷は、非常にシンプルな見た目でそれはそれで風情があったと思います。
今はいかに目立つか、所謂『インスタ映え』にフォーカスが当たり、いかに芸術的かどうかが重視されている傾向がありますよね。
鮮やかなかき氷も見ていて楽しいですが、昔ながらの味も見た目もシンプルで発泡スチロールカップに入った、いかにも『かき氷』といった物も私は趣があって私は大好きですね。
あなたはどのかき氷がお好みでしょうか。