てるてる坊主の怖い起源に違和感を見つけた。別の真相を徹底考察。

子供の頃に一度はおまじないとして「てるてる坊主」を作ったことがあるのではないでしょうか。
このてるてる坊主、起源や由来を追われている方は多くいらっしゃいます。そして私もその一人。ある日の朝、家を出る時の天気は雨、その雨の中歩いている最中、ふと「てるてる坊主」の事を思い出しました。

そして「てるてる坊主」にまつわる残酷な描写の事を思い出したのですが・・・
個人的にはまだ足りない、腑に落ち切らない。
では、てるてる坊主の深みへと足を運んでまいりましょう。

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3番だけ態度が急変する

これは都市伝説好きの方もよくご存じなのではないでしょうか。そこまで深く調査をしていなかった私でも聞きかじり程度の知識はありました。

ではさらっとてるてる坊主の歌詞をおさらいしましょう。ちなみにこの「てるてる坊主」原題は「てるてる坊主の歌」と言います。

てるてる坊主の歌の歌詞

  1. てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ いつかの夢の空のよに 晴れたら金の鈴あげよ
  2. てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ わたしの願いを聞いたなら あまいお酒をたんと飲ましょ
  3. てるてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ それでも曇って泣いてたら そなたの首をチョンと切るぞ

テンションの落差が半端じゃない

ある名調子を使わせていただくと【おわかりいただけただろうか・・・】というやつですね。一番と二番は晴れた際のご褒美を提示しているのですが、三番は命のやりとりへ急展開しています。

てるてる坊主にまつわる都市伝説?

この三番の歌詞の起源とされている説は、出所が分かっておらず参考文献もみあたらない為、もしかすると人々が大好きな「陰謀論」・・・とは少し違いますが、少し影を落とす話題へ発展させ、トレンド性を持たせようと思ったのかもしれません。

そのお陰か確かに話題性は抜群で多くの方がこの暗い説を起源だと話されています。そしてその内容とは、

・はるか昔、降り続く雨に困っている所に「祈祷をすると晴れる」ことで有名なお坊さんが来ました。そして殿様の前で祈祷し、明日は天が晴れるとされていました。しかし次の日も雨は降り続き、怒った殿様はそのお坊さんの首を刎ねてしまいます。

そしてその首を白い布で包み吊るしたところ空に快晴が広がった。

というものです。このお話をよく覚えていてくださいね。

てるてる坊主の有力な起源の姿形

おなじみの照る照る坊主は輸入文化

てるてる坊主が伝わってきたのは中国からであると言われています。こちらは古い文献にも記録が残っていて、江戸時代の榊原篁洲という儒学者が記した『榊巷談苑』にも中国の「掃晴娘」と類似していると指摘されています。

てるてる坊主より先に掃晴娘を知っていた事をうかがわせる文面です。

またジェームス・カーティス・ヘボンが編纂した世界初の英語で書かれた和英辞典である【和英語林集成】の「TERI-TERI-BŌZU」の項目には漢字で「掃晴娘」の字をあてられています。

他の文献にも照る照る坊主は出てきませんが掃晴娘の記述はしばしば見られることから考えると、中国から文化が伝わり日本風のアレンジが施されていったと考えるのが自然でしょう。

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起源となる「掃晴娘」とは

中国の詩のひとつで、ある土地に切り紙が非常に上手な美少女がいました。ある時その美少女が住む町が飲み込まれるほどの大雨に遭い、人々は早く雨が上がることを祈ります。

しかし雨がやまない日が続く中、天から声が聞こえてきます。その内容は美しい少女を妃として差し出せばこの雨を止めてやる。といった内容で、その美しい少女とは切り紙が得意な美少女の事を示していました。

町を救う為、少女はその条件を飲み天へと召され消えてしまいます。すると途端に雲を掃いたように空は晴れた。犠牲となった少女を偲んで、町の人々は雨の日に軒先に切り紙で作った人形をつるすようになりました。

という詩です。天の声の主、嫁ぎ先も詳細はありますが、てるてる坊主の記事の為ここは省きます。

掃晴娘の姿は日本の物とは異なる

掃晴娘の姿形は日本の照る照る坊主とは少々異なります。その姿とは

  • 白い紙で頭を作る
  • 赤い紙で服を着せる
  • 箒をもっている

という出で立ちです。日本のシーツを被ったようなてるてる坊主とは異なりますよね。この出で立ちが、お坊さんが酷い目に遭ったという由来が元であるという事に疑問を持たせるきっかけとなります。
傘をさした女性とてるてる坊主

白い頭部に赤い服…打ち首説を否定する

テンションがあがってまいりました。一気にたたみかけますよ!

これは意図の糸が提唱する案ですが、中国から伝わってきた掃晴娘を日本でも行っていたとします。

よくよく考えてみてください。白い頭部の下に赤い紙を付けるわけです。わかりますよね?

そうです。【首を刎ねられ出血している様】に見えても何一つとして不思議ではないんです。さらにこのおまじないはどちらかというと日本では晴天を願う【子供向け】のおまじないです。

子供は一生懸命に掃晴娘を作ったとしてもまだまだ器用さはありません。赤い紙で作った服は、とても服には見えないような物もあった可能性は十二分にあります。このような背景から、白い頭部の下に赤い何かが付けられた掃晴娘を見て、

「坊主頭のさらし首」のように見え、てるてる坊主の3番目の歌詞に辻褄が合うように装飾したと私は考えます。つまり、このお坊さん打ち首説が出る前にそのイメージを連想させる「掃晴娘」はそこにあったという事です。

ここからの結論として、意図の糸ではてるてる坊主中国起源説を推しつつ、お坊さん打ち首起源説を否定させていただきます。

最後にてるてる坊主関連の豆知識

てるてる坊主の正しい作法

江戸後期の嬉遊笑覧で記されている記録から、てるてる坊主は瞳を書かずに吊るし、翌日晴れた場合のみ、瞳を書き入れ新酒を供えて川に流す。雨だった場合は瞳を入れずにそのまま川へ流す。という作法が記録としてあります。

必勝だるまと同じパターンですね。(笑)

てるてる坊主の歌は削除された一番がある

真の一番は、

  • るてる坊主 てる坊主 あした天気にしておくれ もしも曇って泣いてたら 空をながめてみんな泣こう

なぜ削除されたのかは作曲家と作詞家のみぞ知る、という所ですが、私の見解としては3番で雨がやまない事に我慢の限界を示す子供がいます。それこそ首をチョンと切るぞ!と脅すほどに。(笑)

しかし、1番から4番までがあるとすると「若干我慢の期間が子供にしては長い」と捉えたのではないでしょうか。日本の諺の中に「仏の顔も三度」とあります。これは「仏の顔も三度撫づれば腹立つる」から来ていまして、つまり慈悲深い仏様も三回も顔を撫でられれば腹が立つということ。

二度までは耐えますが三度目で怒り出すという事です。そういった事からも3番までというテンポのいい区切りとしたのではないでしょうか。これらはあくまで推察ですのであしからず・・・

如何だったでしょうか。昨今ではお坊さん打ち首説がショッキングで話題性も高く取り上げられるケースが多いですが、これからも意図の糸は様々な角度から起源、由来を追っていきます。

てるてる坊主に隠された悲しい少女の物語、それを信じて子供が一生懸命作った人形から生まれた可能性もある誤解。

事実は小説より奇なりという言葉通り、世界はまだまだ私達には想像もつかないような変化球を投げてくるのかもしれませんね!

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