ひな祭りの由来知ってますか?お祓い?お祝い?時代を越えても変らぬ親心。

ひな祭りという行事は、女の子の健やかな成長を祈っておこなわれる年中行事で、「女あそび」「雛あそび」とも言われます。

そんなひな祭りの起源は平安時代にまで遡ります。
さらっと書きましたがこれってすごい事ですよね。平安時代の終わりが1185年ですので何百年も前の風習を現代でも行っているんです。

正確に行われていた時期は、江戸時代まで和暦の桃の節句(3月3日)に行われていました。
和暦の3月3日というのは現在の4月頃にあたりますので少し遅い時期だったんですね。
明治の改暦以後は、今現在の3月3日と同じ日に執り行われていました。

そんな女の子が主役を飾る雛祭り起源を辿りましょう。

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地域事情で3月3日以外の祭りもあった

香川県三豊市のひな祭り事情

香川県三豊市の旧仁尾町では3月3日に雛祭りは行いませんでした。
その由来を探ると戦国時代の戦に関わりがあり、旧暦の3月3日は仁尾城が落城した日だったとされています。
そのことから旧仁尾町では3月3日に祭りを行わず、旧暦8月1日にひな祭りを行いました。
確かに自分の町の象徴ともいえる城が落城した日にお祝い事は避けたいと思うのが普通ですね。

兵庫県たつの市のひな祭り事情

兵庫県たつの市のひな祭りも半年遅れの8月に行われていた歴史があります。
香川県の歴史と同様の歴史を刻みますが、その歴史の中で更に悲劇が重なっていました。

その内容はと言いますと、永禄9年の1月11日(1566年の2月1日)の夜にに室山城の主である
浦上正宗の次男、浦上清宗と小寺職隆の娘の結婚式を挙げていました。

そんなめでたい日に、浦上と対立関係にあった龍野城の主、赤松正秀の襲撃を受け父、正宗と次男の清宗と共に花嫁も亡くなり、室山城が落城するという悲劇が起こりました。

結婚式を挙げながら亡くなるというあまりに酷い運命を人々は悼んで、近く執り行われる
ひな祭りを半年遅れの8月に延期しました。結婚という晴れ舞台で亡くなる事となった花嫁の悲しみはどれ程のものだったでしょう。

想像をはるかに超える無念だったと思います。

この風習はしばらくして途絶えて、他府県同様3月3日にひな祭りを行うようになりましたが
近年では町おこしという意味で、歴史を辿り「八朔(旧暦8月1日)のひな祭り」を行っている様ですよ。

ひな祭りの由来は現代の女の子と何も変わらない遊び

人形遊びが発端だったとする説

ひな祭りは現代のイメージでは、ひな人形を飾り付け、ちらし寿司や雛あられを食べて過ごすのが一般的だと思われますが、ひな祭りの起源では少し違っています。

やはり歴史と共に文化はその時代に合わせて少しづつ変わっていくんですね。

どの時代の女の子もほとんどが経験した事のある人形遊びが起源であるとされています。女の子の多くは触れた事があるんじゃないでしょうか。ほら、例えるならあれです。

シルバニアファミリーみたいなものですね!因みにこのシルバニア、ではなく人形遊び、当時は「ひいな遊び」と言われていて、「ひいな」とは【小さくて可愛い物】という意味がありました。この事からひな人形とは

「小さくて可愛い人形」という意味にも取れますね!

この「人形遊び」と節物の「節句の儀式」とが結びつきどんどんとひな祭りは広まって行きました。その節供の儀式とは次に紹介する「中国起源説」に結びついてきます。

神社と赤い鳥居

中国が起源とする説もある

漢の時代の男に振りかかった災いがありました。その災いとは3人の女児をもうけたのですが3人とも3日以内に亡くなってしまいます。男が悲しみに打ちひしがれているのを哀れみ、村の人たちが酒で3人の女児の亡骸を清めて水葬した事が起源という説です。

3人の女児が3日以内と「3月3日」に精通しているような感覚は有りますが、この伝承単体で雛人形を飾り、女児の健康を願うと言う行事への発展は少し遠く感じます。

この中国の伝承は、どちらかというと平安時代に「上巳(じょうし/じょうみ)の祓い」といって、3月3日に陰陽師を呼び、自身の生年月日を書いた人形(ひとがた)に災難を移らせて川へ流す儀式のルーツであるという方がしっくりきますね。

この厄払い儀式は下鴨神社の「流しびな」という行事の中に生きています。

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中国が起源?てるてる坊主の怖い起源は恐らく違う。

人形とは厄を移す変わり身として多用されていた。

陰陽師の人形でもそうですが、人の形を模したものは災厄を代わりに受け持ってくれる存在として活用されています。女の子が元気で健やかに育つように人形遊びから、厄払いの役目を負ってくれるひな人形を飾り、楽しくお祝いをしたのかもしれませんね。

ルーツが複数ある事から考察すると、当時女の子の間で楽しまれていた「人形遊び」と、「上巳の祓い」が混ざり合い厄払いのお人形を飾り女児の健康をお祝いしていたとても優しい行事と変化していったと考える事が出来ます。

この記事を読んでいただいている方の多くに女の子のお子様がいるのではないでしょうか?

このような深い起源、由来がある事を想いながら、大切なお子様の健康を願って大切にお祝いしてあげてください。

平安時代の女性貴族

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