夏が来れば思い出す。
子供のころに山でカブトムシを追いかけ、海では真っ黒になるまで泳ぎ続け、そして楽しみなすいか割り。
すいか割り・・・、(でもどうしてすいかを海で割るのだろう・・?)
目隠しをして、数回くるくると回って方向感覚がおかしくなったところで、目的のすいかを目指して歩いていき、木の棒ですいかをたたいて割るという遊びです。
今回はこのすいか割りを始めた経緯を調べていきたいと思います。
すいか割りの発祥起源色々
すいか割りという楽しい遊びからは想像もつかないような恐ろしい説も・・・
海の神へのご奉納起源説
すいか割りには、すいかを海の神に奉納することが第一の目的というのがあるそうです。
昔の日本では、海の神にすいかを奉納することによって、漁業の大漁と安全、そして遊泳の安全を祈願したことが始まりと言われています。
海での単なる遊びと思っていたすいか割りにも思わない歴史がありました。
海の神もすいかを食べるのですね。
また別の起源説も見つかっております。
戦の前の士気高揚儀式説
これは昔の中国のはなし・・・
昔の中国では戦を行うとなりましたら、その前に、罪人を砂の中に埋めて頭だけを出した状態で、その頭の部分をたたき割っていました。
たたき割られた頭だけが並べられている光景は想像するだけでも無残なものです・・。
この行為は、この状況を見た相手側の軍の戦意を喪失させることを目的としていました。
恐ろしい・・。
さすがにこの行為はむごすぎるということで、時が過ぎ三国志時代の有名な軍師、諸葛亮公明が罪人を使うのではなく、代わりにすいかを使うこととしました。
それに伴い、相手側の戦意を喪失させる目的というのも次第に意味が変わっていき、戦の前の自分たちの軍の士気を上げるための儀式へとなったのです。
この儀式がすいか割りの起源だという説もあります。
諸葛亮公明が人間らしい心の持ち主で良かった・・。
さらに豊臣秀吉の行ったことが起源だという説もあります。次の項でお話しします。
秀吉の部下労い説
豊臣秀吉が建立したことで知られる有名な安土城。
素晴らしい城ですが、それだけに建立するときには多くの人員と労力、そして時間を費やしました。
豊臣秀吉は、一生懸命働いてくれている配下の者たちが疲弊している姿を見て、少しは疲れを癒せるのではないかと思い、配下の者たちにすいか割りという遊びに興じてもらいます。
日々の過酷な労働を忘れられる楽しいすいか割りという遊びは、配下の者たちの疲れを癒し、また労をねぎらってくれた豊臣秀吉のためにと再び安土城の完成へ向けて奮起していったのです。
この豊臣秀吉の行いがすいか割りの起源だという説です。
農民という立場から天下人へと駆け上がった豊臣秀吉は、下の位の部下たちのことも思いやれる器の大きい人間だったということが読み取れる説ですね。
最後にロマンあふれるすいか割りの起源説も
京都にある縁結びで有名な地主神社。
地主神社には「恋占いの石」という一対の石があります。
一方の石からもう一方の石まで目を閉じて無事にたどり着くことが出来れば恋が成就すると言われています。
目を閉じて、目的にたどり着く・・。
んっ?お気づきですか?
そうです。
すいか割りのルールと似ていますね。
もともと一定の距離にある目的物へ目隠しでたどり着けるかという行為は、神様へお伺いを立てる古い神事でした。
すいか割りはその名残だという話です。
すいか割り起源・由来まとめ
恋愛成就を占う行為がすいか割りと結びつく。
考えるとロマンチックではないでしょうか。
このように夏の風物詩、すいか割りの起源にも様々な説がありました。
個人的には戦の前の罪人の頭をたたき割っていたというのは悲しい話なので、その他の説が正しければいいなと思います。
複数の説を遡り調査しましたが、中国の威嚇が起源のもの以外は、現代のすいか割りと同様で根元には全て「楽しむ心」が存在しましたね。
個人的に一番はやはり、ロマンチックな起源である恋占いを模してレジャー化していった説であって欲しいと望んでいます。あなたはどうですか?