お花見の由来に歴史。『桜の木の下にあるもの』の噂も紐解く。

気候が暖かくなり、桜が咲く季節。新しい門出や歓迎など、色々な人の動きが活発になる季節ですね。
桜と言えばやはりお花見。非常に風流な楽しみだと思います。あなたも大切な人と穏やかな気持ちで美しい桜を見て心の波が治まるような、優しい気持ちになった事があるのではないでしょうか。

そんなお花見の歴史を振り返って今年のお花見はより「優雅に」楽しんでみませんか?
気になるあの噂の由来にも触れて美しい桜を根こそぎ楽しみましょう。

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花見の始まり。台頭する二説

奈良時代貴族の行事説

奈良時代に中国から伝わり、その頃は梅の花を観賞して楽しんでいました。そして平安時代に梅の花の鑑賞は桜へと移行していきました。当時は飲んで歌えの大騒ぎではなく、貴族があくまで優雅に桜を観賞しながら和歌を詠む歌会としての位置づけでした。

現在の花見の主役は桜ですが、梅から桜へとお花見の主役が交代する様は、和歌集に明確に表れています。

7世紀後半から8世紀後半にかけて編纂された「万葉集」は約4500首の歌が詠まれていますが、その中の約3分の1が植物に関して詠まれています。150種類を超える種類の植物が登場しますが、最多登場数は萩で137首で、次点で梅が119首です。

桜はというと42首と今の花見のイメージと比べたら意外と少なく感じますね。その後、10世紀初期に出る「古今和歌集」では遂に和歌数が逆転し、桜70首に対して梅は18種となり、桜が花の代名詞を確立させていったことが分かります。

花見に関する描写が登場する最古の文献は『日本後紀』という文献です。この日本後記は天皇の命で書かれた正式な歴史書で、その中に嵯峨天皇が812年3月28日(弘仁3年2月12日)に神泉苑にて「花宴の節(せち)」を催したと記録が残っています。

梅の時期は1月下旬から3月上旬ですので、催しがあった時期から考えて鑑賞対象は桜が主役であったと考える事ができますね。

豊作祈願のお花見説

桜は田や山の神様の依り代と言われていました。その理由は、暖かくなり、農作物を植えるのに適切な時期が来たころに開花する為です。

そして桜の花が開花したのは神様が降りてきた合図という事で、桜の根元にお供え物をしました。

そして神様への供え物は縁起がいい物ですので、お供えを引いた後の食べ物はみんなで分けて神様の気を体内へ取り込み、今年の豊作を祈ったという事がもう一つの起源とされています。

神様の気を取り込む、という点でお年玉の起源、由来にも非常に近いものがありますね。

お年玉という名称の由来や始まりをまとめてみた。

当時は気温計など当然なく、最適な気温を知る術はありませんでした。

その中で唯一、暖かくなる時期を教えてくれる桜を神様として信仰したんですね。ひとつ疑問に思うのは桜が狂い咲きした時、昔の人は一瞬騙されたのでしょうか?(笑)

満開の桜並木

狂い咲きの原因はとても単純

狂い咲き、とは咲く季節でもない花が開花してしまう事です。つまり花の体内時計がくるってしまったという事。(笑)別に不思議な事ではなく、実は桜は10月頃には花弁も作り終え咲く準備は万端となっています。

そしてこの狂い咲きですが、原因は非常に科学的で単純なもので、その原因は

ホルモンバランスの崩れと想定外の温度

健康サイトの様になってきましたが違います。(笑)

ホルモンについて

植物にもホルモンは存在していて、狂い咲きの原因を更に細かく伝えると「成長抑制ホルモンの不足」という事が原因です。

桜は夏に芽を付けて寒い冬に備えて栄養を蓄えます。そして生い茂った葉から花芽へと成長抑制ホルモンが移動します。ここで成長が抑えられ花芽は「休眠状態」へと入り冬を越していきます。

しかし葉をつける夏に台風被害で葉が落ちてしまったり、虫の食害により葉が減少してしまうとこの成長抑制ホルモンが不足し、開花スタンバイ状態へ移行してしまいます。

想定外の温度

前述の休眠状態の解除にはある条件が必要で、それこそが「温度」なんですね。桜の花芽の開花には絶対条件があり「2℃~12℃」という条件が絶対に必要となります。

この温度帯に入ると成長抑制ホルモンが徐々に減少し、花芽が再び目覚めて成長を再開し、最終的に暖かくなる頃に開花するというメカニズムです。

つまり、夏に被害に遭い葉をたくさん落としてしまい成長抑制ホルモンが不足している桜が、秋の過ごしやすい想定外の高温に晒されることで数少ない成長ホルモンが減少し「開花」してしまうという事です。

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桜の木の下には死体がある都市伝説?

一度は聞いたことがあるのではないでしょうか。これにも明確な由来がありまして、その由来を知れば桜を怖がる必要なんてもう一切ありませんよ!では早速その由来をお話しします。

とある短編小説の冒頭分が由来

明治時代の小説家である梶井基次郎の短編小説作品「櫻の樹の下には」の冒頭分がまるっきり同じなんですね。その冒頭分が

「桜の樹の下には屍体が埋まっている」

この小説の概要はというと、桜があれほど美しいのには何か理由があって、主人公は桜のあまりの美しさに不安を覚えます。そして、その不安は死体という醜い物が埋まっているんだと想像する事で和らぎ、解放される。という少しサイコな空気が流れる作品です。

そしてこの冒頭文のフレーズが出てきた由来はこれなんじゃないか?と囁かれているモノがあります。

桜の花弁の色は血の色

桜染めを意識したのか

桜の樹の下には死体が埋まっているという発想の由来は桜染めにあるのではないかと囁かれています。桜染めとは桜が咲く前の枝を炊き、冷まし、熟成させる事でピンク色の色素を抽出して染色とするものです。

昔からの俗説として、桜は最初は白い花弁をつけているのに段々とピンクに染まっていくのは根元に死体があってその血を吸っているのではないかという噂がありました。

根から吸い上げ枝まで行き渡り、そこからピンクの色素が出てくる、この事を血を吸い上げているんだと都市伝説のように若干の怪談要素を含ませ、話が拡散されていったのではないでしょうか。

勿論そんなことはなく、ほとんどの事象が科学で解明できる世の中となってしまった事は、素晴らしくもあり寂しくも感じてしまいますね。

得体のしれない物に感情に振り回される、だからこそ感動する。そんな人間味だけは技術がいくら進歩しても忘れることなく後世にも受け継いでいきたいものですね。

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