めがね~、めがね~と必要な時にどこを探しても見つからない・・。
結局、実は頭に掛けてあった・・。
などと、眼鏡を掛ける人は一度や二度は経験したことがあるはず。日本人のイメージイラストを外国人に描いてもらったら、多くの人が眼鏡も描き込む傾向があるのはご存知でしょうか。
そんな生活に浸透しきっている眼鏡ですが発祥起源はどのようなものだったのか。
今回は眼鏡に関してのお話です。
眼鏡の原型起源は海外にある?
眼鏡の起源関係者は大きく2説
眼鏡が最初に作られたことに関しては様々な説があります。
まずは、アラビアの数学者であるイブン・ハイサムが最初に眼鏡を作ったという説です。
イブン・ハイサムは、頭脳明晰でカットした光学レンズを使うと弱った視力を補うことができるということを発見しました。
イブン・ハイサムはこのレンズを使った反射や屈折の実験で多くの功績を残し、のちに光学の父と呼ばれるようになります。
また、イブン・ハイサムではなく、イスラム教の科学者アッバース・イブン・フィルナスではないかという説もあります。
アッバース・イブン・フィルナスは、それまでよりより透明度の高いレンズを作り出して視力補正用に拡大レンズを発明しました。
現代と違って虫眼鏡より
その他にも説は色々ありますが、どれも現在の形をした眼鏡を作り出したというわけではなく、その当時は書物や見たいものにレンズを置いてその個所を見るというようなことをしていたようです。
どちらかというと虫メガネみたいな感じですね。
眼鏡を耳に掛けて使用するという方法は13世紀ごろにイタリアで生み出されたと言われています。
現在の眼鏡の多くは時代背景として長時間の勉強やスマホ、パソコン画面の凝視などによって起こる近視用として使用されていると思われますが、この時代では老眼によって視力が落ちたのを補助する目的で使われていました。
視力を補正するといった点でコンタクトレンズの発明起源に関しても以前に書かせていただいてるのでよかったら読んでみてくださいね。
日本に眼鏡を伝えたのは、あの超有名人
この便利な眼鏡が日本に初めて伝えたのは、宣教師のフランシスコ・ザビエルです。
フランシスコ・ザビエルが来日した時に謁見した周防国の守護大名である大内義隆に献上したのが日本最古の眼鏡になります。
初めて日本に伝わった眼鏡を見て人々は興味津々だったようです。
織田信長に謁見した宣教師のフランシスコ・ガフラルが眼鏡を掛けて現れると、織田信長は、
「目が四つあるッ!」と大変驚いたという逸話もあります。
眼鏡が庶民に広がった経緯
眼鏡が日本の庶民に広がっていくのはもう少し先の明治時代からとなります。
日本の眼鏡生産地として有名な福井県鯖江市。
どうして鯖江市が眼鏡で有名なのかと言いますと、ちょうどこの庶民に眼鏡が広まり始めた明治時代に当時の鯖江市で議員を務めていた増永五左衛門という人物が鯖江の経済発展のために眼鏡の生産に目を付けたのです。
鯖江市は豪雪地帯でもあり、冬の時代は雪の中で閉じ込められる生活を送っていました。
外出の必要もなく、自宅で作ることができる眼鏡産業はまさしく鯖江市にとってはうってつけだったのです。そして眼鏡が量産されて日本国内に普及していく事になります。
眼鏡が広まった時代背景に合わせた、冬の期間の庶民の生活費の確保のための眼鏡生産という、増永五左衛門の奇知なアイデアが現在の眼鏡で有名な鯖江市を生み出したんですね。
眼鏡の発祥起源まとめ
- アラビアの数学者であるイブン・ハイサムが起源説
- より透明度の高いレンズを作ったスラム教の科学者アッバース・イブン・フィルナス起源説
- 最初は耳かけではなく虫眼鏡のような物だった
- 眼鏡を日本に伝えたのはフランシスコ・ザビエル
- 日本で普及し始めたのは明治時代
- 増永五左衛門が鯖江市の経済発展のために眼鏡の生産に目をつけ生産、流通
この眼鏡の発明は目を酷使する場面が多い現代人にとってはなくてはならないものですよね。
世紀の大発明の眼鏡ですが、本当は眼鏡を必要としない生活の見直しというのも現代人の命題かもしれません。