人間は遥か太古から人間同士で争い、土地を手に入れたり地位を手に入れたりしてきました。今も昔も最終的な結論は武力による物。
命を代償として国を守る必要性が文明の進んだ昨今でもあるのかと言われれば、やはりあるのでしょう。やはり命を失うものは誰でも怖いです。
命を失う事が怖いからこそ、好き勝手に暴れて狙われないようにしているという事ですね。しかしどうしても戦闘が発生してしまう時、人は最大限のリスクヘッジを実施します。
誰もが思い浮かぶのは「防弾チョッキ」ではないでしょうか。誰でも知っている命綱である防弾チョッキの起源、そして気になる命を守る価格を覗いていきましょう。
昔の防弾チョッキは聖職者が作った。
起源は銃社会、アメリカシカゴ
戦争は経済を活発にすると言われる事です。この防弾チョッキも御多聞にもれず商売人が作った物かと思いきや、その発明の裏には聖職者がいました。
その聖職者の名前はカシミール・ゼグレン。彼はシカゴにある教会の聖職者だったのですが、そのシカゴである悲惨な事件が発生します。
1898年にシカゴ市長カーター・ハリソンが自宅でギャングに襲われ銃撃によりその命を落とす事件が発生します。この事件をきっかけに、ゼグレンは命の尊さを説く聖職者であるが故の使命感で「人命を守る神聖な道具を作る」事を決意しました。
鋼鉄の屑を使用したり、毛髪なども使用し開発に取り組みましたが全てうまくいきませんでした。そしてカシミールはある素材に目をつけます。それは
絹(真綿)でした。私のイメージでは絹とはとても肌触りのいい滑らかな素材なのですが、その強度は実は恐ろしく高く、素晴らしい弾性を持っています。つまり千切れにくい。
そして同時にクモの巣にも注目します。昆虫がクモの巣に衝突した際の衝撃吸収にヒントを得たんです。「弾性の絹」と「吸収のクモの巣」、この二つの条件を整えようとゼグレンは糸の織り方を研究します。
開発は難航しますが、遂にヨーロッパの織物工場で求めていた織り方を発見します。そして苦労の末、ゼグレンは防弾チョッキを完成させます。そして彼は町で不安に飲まれているシカゴ市民の前でとんでもない実験を敢行します。
自身の開発した防弾チョッキを着て実弾を受ける。
というショッキングな実証試験です。同僚に引き金を引かせたそうですが・・・私ならこの依頼絶対受けません。(笑)絶対に大丈夫と言われても、人に実弾を放つ度胸はどうしても持てないです・・・同僚さんも中々にアグレッシブな方ですよね。(笑)
そしてシカゴ市民が息を飲む中、実証試験は見事成功します。しっかりと銃弾を受け止めたんです。彼はこの仕事を神からの使命と捉えており、神の使命を全うする行動で失敗するはずがないと心から神を信仰していました。
性能が霞む値段への驚き
ゼグレンが開発したボディアーマーですが、その価格なんと
約150万円
1914年頃の相場なのですが年代関係なく、とんでもなくコストのかかる装備であり、着用が許されるのはごく一部の精鋭部隊のみとされていました。軍や警察に組織的に配備したら確実に予算を食いつぶしてしまいますね・・・(笑)
しかし当時の黒色火薬を用いた銃弾には効果てきめんで信頼性の高い防具とされていました。現在ライフル弾などの主流となっているのは無煙火薬といわれる火薬で、発火後の腔内圧力は無煙火薬の方が高く、つまり銃弾の初速が大幅に上昇した為、この頃の防弾チョッキでは防ぎきる事が難しくなっていきました。
現代の防弾チョッキ
現在は主にケブラー繊維やアラミド繊維という更に強度の高い繊維が使用されています。しかし銃弾を受け止めるのが繊維だなんて本当に驚きですよね。
いってみれば防弾チョッキは「装甲」なのですからもっと硬い素材で出来ているイメージがありますね。もちろん硬い素材のオプションパーツも存在しています。
セラミックプレートなどを取りつけられるポケットが前面と背面についているタイプが多いです。しかしこの後付けのプレートは高重量なため、機動性を犠牲にする必要があるんですね。
その防御力は絶大で、繊維という若干の隙間が存在している素材であるが故、先端の鋭利な、隙間を抜けてくる物には弱い特性があります。つまりライフル弾などの先端が尖った銃弾を受け切るのは難しいとされています。
あくまで拳銃など、着弾点の面積が広い銃弾に有効とされているんですね。しかし機動性を犠牲に取り付けたプレートはなんとライフル弾をも防ぐことが可能となる防御力を誇っています。
気になる価格ですが、プレート有り無しでピンキリなのですが、警察などで配備される物で5万~8万円、特殊部隊等に配備されるアーマーは15万円前後が相場の様です。
プレートを使用すると値段は更に上がり、プレート材質にもよりますが20万~30万円程にまで価格は上がるようです。
防弾チョッキまとめ
防弾チョッキは軍事関係者ではなく、銃弾で命を落とした方へ心を痛ませ、命を守る使命を全うしようとした聖職者による手で開発されました。
現代の考え方は、命を守る為という目的は同じですがその志はカシミール・ゼグレンの「尊い命を守りたい」というものとは異なり、戦力被害を最小限に抑え有意性を失わない為、へとシフトしている気がします。
戦争をしている各国は、それぞれがそれぞれの正義、守りたいものを守る為に戦います。しかし自分が守りたい物を守る為に奪おうとしている敵の命の先には、敵兵の帰りを信じて待つ家族がいるかもしれません。
果たして見ず知らずの人とはいえ、誰かを不幸にする正義は正義と呼べるのか、とても難しい問題ですが日本にとどまらず世界で今一度、この世の全ての人の周りには「死なないで欲しい」と心から想いをを込めている人がいる事を考えてみて欲しいものです。