お忙しい毎日を送られているあなたは1日の内に必ず触れるものがあります。それが
時計です。
この時計、現代は非常に高精度かつ低価格で買える環境が整っています。しかしよく考えると毎日正確に時間を計れるなんて凄い技術の固まりだと思いませんか?
勿論、近代の時計の形になるまではとても気の遠くなるような時間をかけてやっと完成したものなんです。
そんな身近で当たり前で、とんでもない技術の結晶である時計の起源を追っていきましょう。
目次
世界最古の時計システム
遥か太古から時の流れを皆知りたかった
始まりは、エジプトとされています。そしてその時期はなんと紀元前3500年頃とされています。(紀元前とは、キリストが生まれた年を紀元元年としていますので、つまりキリストが生まれた年の3500年前ということ)
そしてそのシステムは勿論、技術の固まりなどではありません。しかし当時の人々の知恵の塊である事は間違いありません。
その計測方法は、「モニュメントを立てて影の位置で午前と午後を、影の長さで季節を知る」というものでした。現在のような針はなかったんですね。
しかしこれはまだまだ時計、と呼ぶには大味であくまで指針レベルのものだったとされています。
日時計の起源の記録
中東で時計の起源が集まっている
記録として時間を計っていた事が残っているのは現在のイラクにあったメソポタミア文明になります。メソポタミア文明南部のバビロニアで昼間を6等分にした日時計が使用されていた記録が残っています。
この時期は紀元前2000年頃なので、エジプトの陰影による時間指針から1500年物時を経てじわじわと進化して行ってるんですね。
また、使われていた場所は資料からバビロニアで確定できるのですが、発明者はバビロンに滅ぼされたシュメール人なのではないかと言われています。
このシュメール人、非常に高度な天文学知識を有していた事から、発明はシュメール人なのではないかと言われているんです。その理由が下記項目になります。
天文学から時を計ろうとした
農耕が人々の手によって開始されてから、人々は季節や暦を強く意識し始めます。農作物をより多く収穫するためには必然的な考え方ですよね。
そして、その季節を知る為に、太陽や星の動きを観測する天文台が建てられ研究が進められました。そして「世界最古の時計システム」でも書いたエジプトで、1日を12時間2組で分け始めたのが現在の時計にも引き継がれている起源であり原点です。
当時は天文学が、時を計るのに最も精密だとされていた為、天文学知識が群を抜いているシュメール人が日時計を発明し、そこを征服したバビロンが使用していたという声が上がっているという事ですね。
アンティキティラ島の機械
世の中には大天才と言われる人がどの時代にも必ずいます。そんな天才達が創り出した機械。
紀元前150年~100年に創り出されたとされているこの機械。なんと現在の研究チームの発表からすると18世紀に開発された機械と遜色ない仕上がりというとてつもない代物なんです。
この機械はギリシャで作られたと言われており、当時のギリシャは天文学と数学が非常に発達した素晴らしい学者が多数いる国でした。
この天文学と数学を緻密に組み合わせ、太陽や月やその他惑星の位置を計算する事ができ、天動説モデルを採用しています。
計3つの表示板を持ち、前面は3つの針で日付と太陽と月の位置を示す事が出来ます。背面には2つの表示板があり、背面上部には螺旋状の表示板があり、これは235朔望月を19太陽年とするメトン周期を表現できると結果が出ています。
そして背面下部に3つ目の表示板があり、54年の3サロス周期を表現できます。サロス周期はカルデア人に発見されたもので、日食や月食を予測するのに用いられる周期です。
また、1サロス周期は約18年10日と8時間となっています。
またこのアンティキティラ島の機械には扉が付属されており、研究者の間で「取扱説明書」と呼ばれている文字が、内部に少なくとも2000文字以上は記載されています。
この事からこの機械は、展示したり多くの人々に情報を伝えるためではなく個人での携帯用に開発された可能性が高いとされています。
時計の起源まとめ
時計の起源を調べると、中東に非常に多くの時計に関する歴史が集中していました。ギリシャなどには著名な数学者も多数存在し、天体の動きと数学を組み合わせた高度な計算による理論で時計を構築して行ったのでしょう。
この数学的、天文学的知識も大変素晴らしいものですが、そのような太古の時代に計算式に則って素晴らしい精度で歯車を製造する技術、組み立てる技術が存在していた事にも驚かせれますね!
人間とは本当に、予測のはるか上空を飛んでいく生き物です。これからも物事の起源を追い続ける事で、人類の驚愕する探究心と知恵が発見される事が期待できて今から楽しみになってきますね!