誰でもどの家庭でも一台は持っているであろう電卓。現代では100円ショップやコンビニなどいたるところで手に入りますよね。電卓機能の入っている携帯もたくさんあります。
しかし、今となっては手軽に購入・利用ができる電卓ですが、昔はとても高くて重かったこと、そして小型の電卓を初めて開発したのが日本人であることをご存知ですか?
今回はそんな「電卓の生みの親」について調べてみました。
昔の電卓は重さ価格ともにすごかった
電卓の正式名称は「電子式卓上計算機」です。この名前からわかるように計算を卓上で行うための機械でした。というのも、昔の計算機は大きくて複雑な機械で計算をするものだったんです。
世界初の電卓は1963年イギリス生まれのAnitaという製品でした。ですがこのAnita、電卓とはいえ重さが16㎏もあったんです。これまでの計算機と比べると格段に性能があがり手軽になりましたが、今と比べてしまうとやはりかなり重いですよね。
しかもこの電卓、消費電力は50W~100Wを越え、価格も車が一台買えてしまうほど高かったと言われています。今となっては考えられないことですが、当時ではそれほど画期的な発明であり貴重なものだったんですね。
小型電卓を生み出したのは日本人
電卓生みの親はあの会社の副社長
電卓自体はイギリスで生まれたものが一番古いものですが、電卓の小型化に成功し「電卓生みの親」といわれているのは、なんと日本人なんです。
その人の名前は「佐々木正」。あの有名なシャープの副社長です。
当時シャープの技術担当専務として活躍していた佐々木さんは、MOS-LSI、液晶、太陽電池などの新技術を駆使して手のひらに収まるくらいの小型の電卓の開発に成功しました。
1960年代後半から「電卓戦争」と呼ばれる時代がはじまり、多くの企業がこぞって電卓を開発・販売してきましたが、その中でも最後まで生き残り続けたのがカシオの電卓と、佐々木さんが開発したシャープの電卓でした。
また佐々木さんは「ロケットさん」とも呼ばれ、次々と湧いてくるアイディアをどんどん行動に移していき、世界中を飛び回り、革新的な発明を数多く成功させてきました。
電卓生みの親はマンゴー生みの親でもあった
先述した通り、シャープの副社長である佐々木正さんは非常に有能な技術者でした。しかし、佐々木さんの才能は電卓だけではなく、あるフルーツまでも生み出していたのです。
それが、「マンゴー」です。
みなさんが「マンゴー」といわれて思い浮かべるのは、赤オレンジ色の皮に、黄色い実がつまっているあのマンゴーですよね。
しかしこれは世界中で知られているマンゴーとは少し違うんです。
日本で知られているマンゴーの正式名称は「アップルマンゴー」というもので、世界中で知られているマンゴーは実は身も皮も全て黄色いものなんです。
そしてそして驚くのはここからです。この「アップルマンゴー」を作り出した人こそ、あの佐々木正さんなんです。暖かい地域で育つ果実を日本の気候でも栽培できないかと、リンゴと掛け合わせて改良していったんですね。
アップルマンゴーは佐々木さんが品種改良を重ねて生み出したものなのですが、実はこれ、佐々木さんが高校時代に行った卒業制作の過程で生まれたものだそうです。
佐々木さんの多才っぷりがよくわかりますね。本当に驚きです。
まとめ
電卓、そしてアップルマンゴーの生みの親である人物はシャープの副社長「佐々木正」さんでした。
あのスティーブジョブズがアドバイスを求めた日本人が、佐々木さんであったと言われています。そしてソフトバンクの孫正義社長の「大恩人」とも言われています。
佐々木さんは既に亡くなってしまいましたが、彼が残してくれた技術や発明が今の私たちの生活を支えてくれているのかもしれませんね。
何かに魂を燃やし、打ちこみ続けたからこその偉大な人生で、尊敬の念が止みませんね!